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2011年3月30日 (水)

始めなかった男(終章)

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昔、彼は風のように速かった。
野球のユニフォームで、100メートルを11秒そこそこで走ったと言う。

彼と初めて会った頃のあるスポーツ祭で、リレーのアンカーで出た彼が前を行く5人をぶち抜いた場面を見た事がある。
最後の一人には届かなかったが、前を行く足自慢の男達が「止まっている」ように見えたのに驚いたものだった。

野球が好きで、いくら勧めてもとうとうゴルフを本気で始めなかった、古い親友。
閉鎖病棟に入院しているという事で、連絡がつかないまま時間が過ぎてしまったため、彼の姉に連絡を取って鹿児島迄見舞いに行って来た。
どのような状態か、顔を見る迄の時間に十分覚悟を決めて、面会。

しかし、杖をついて出て来た彼は、痩せてもいずに穏やかそうな顔をして、はっきりしない話し方で「よう来たな」と...

風のように速かった彼の足は、一歩一歩20センチ程しか前に出ず、杖をついてゆっくりゆっくりと歩くしか出来なくなっていた。
しかし、指は全部ちゃんと動かせる。
話もゆっくりなら、聞き取れるように話せる。
足だけが自由にならないようだ。

病院に外出許可をもらって、レンタカーで彼の行きたいというところに行く事にする。
まず、彼の住んでいた家に行く。
そして昼飯は、彼がバイクで走って見つけたと言う、小さな港近くの穴場の魚料理屋。
ここの安くて絶品の料理を食べてから、彼の行きたがっていた「俺のパワースポット」と言う山へ...そして最後に養鶏をやっているという、彼の幼馴染みのところへ。

この幼馴染みのところに彼を連れて行って、話をしている時に...その幼馴染みの奥さんが駆け込んで来て、「今、関東の方で大地震があったって! 津波と火事で大変なんだって!」

彼の外出時間が終わりそうだったので、病院に戻って彼と別れる。

「歩けるようになったら、ゴルフをやろうや」「ああ、治ったらな」
彼の姉は、「頂いたゴルフ道具なら、物置に全部あるわよ。」
「まず足を鍛えろよ、太さが昔の半分じゃないか」

...彼は笑うだけ。

問題は、彼がなにもかも諦めているように見える事。
子供が、誰も見舞いに来ない事。

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