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2011年8月

2011年8月30日 (火)

また、夏が終わる

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暑さはまだしばらく続くんだろうけれど、朝晩の涼しさはもう秋の気配だ。
8月は明日で終わる。

いつも「夏」は何か素晴らしいハプニングを期待させて始まり、結局何事もなく終わって行く。
それなのに終わろうとしている「夏」の姿に、懐かしさと寂しさを感じてしまうのはどういう訳なんだろう。

そして思うのは、俺にはあと何回の夏が残っているんだろうか、ってこと。
「夏は俺の季節」という時代は遥か昔に去り、最近は太陽の光から逃げ回る季節になった。
それでも、蒼い海と青い空、緑濃い山の連なり、天の川と蝉の声、冷たい生ビールと純米酒の冷酒・・・
夏は、やはり夏だけの心躍るような楽しみが多い。
俺は、あと何回そんなことを楽しめるのか。

妹は昨年の8月29日に癌で亡くなった。
古い親友は、脳出血で身体が不自由になった。
ゴルフ仲間のエリオット後藤は脳梗塞で亡くなった。

人は同じではいられない。
立派な人間ではない俺は、立派な生き方なんてすることは出来ない。
反省しても、それを生かすことが出来ない。

しかし、人生を投げて無駄にしたいとも思わない。
俗物は俗物なりに、やせ我慢とカラ元気出して、生きて行くしかない。
ウォルター・ヘーゲンの言葉のように
「焦るな、嘆くな、せめて路傍の花の香りでも嗅ぎながら、残りのプレーを楽しもうじゃないか...」

さて、今は17番ホールか...
残り2ホールは、後悔のないようにパーをとりに行こうか。
とりあえず、関西の怪人の参加すると言うコンペにも申し込んだし、これから涼しくなれば回ったことのないコースで、ベスグロ狙いのオープンコンペにも参加しよう。
相棒は、ミズノのMP425白マナXにテーラーの3番青マナS、アイアンは黒トップの2番からSW、それにファットレディーの長尺パター...とりあえずはこれで。

明後日から9月。
秋のゴルフのベストシーズンになる。

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2011年8月29日 (月)

風が吹いたら、いつも追い風のつもりでスイングすればいい

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「風を過大評価してはいけない。風が吹いたら、いつも追い風のようにスイングすればいい」...カーチス・ストレンジ。

カーチス・ストレンジは、ツアー17勝(うちメジャー2勝)。
メジャーは1988年89年の全米オープン連覇。
これはベン・ホーガン以来38年ぶりの快挙で、その後も達成したゴルファーはいない。

何よりも、あの正確性で勝負した全盛期のニック・ファルドを根負けさせたくらい、その正確なゴルフが売りだったストレンジの言葉だ。
どんなときでも、状況に左右されないショットを打っていた「コツ」はこんな所にあったのかもしれない。

ゴルフに風はつきもの...というより、野外の自然の中でやっているゲームなんだから、風のない方が不自然だろう。
ゴルフをやる限り多少の風があるのは当たり前だと考えた方がいい。
その風が、我々の頭を悩ませ、考えさせ、迷わせ、スイングに強く影響させる。

そうなる理由は、ゴルフを始めるとすぐに、あの堅いゴルフボールが何とも簡単に風に乗って、曲がり、吹き上がり、押されて行くのを経験するからだろう。
自分の打ったボールも良く曲がるものだが、風にあおられた固いゴルフボールがまるでピンポン球のように吹っ飛んで行くのは、実際にそれを見たものにしか信じられない光景だ。
横からの風には、フェアウェイを横切って反対側迄流されて行く。
追い風には、当たり損ねのボールだってなかなか地面に落ちて来ないで遠くに飛んで行く。
そして向かい風には、高く吹き上がるだけで全然飛ばない...それどころか、こちら側に戻って来さえする。

これは実際のボールの性能よりも、むしろ心理的なもののスイングへの影響がプラスされているからでもある。
ゴルフというゲームは不思議なもので、普通の考えの「常識」がミスの元となることが殆ど。
むしろ、一番に心に浮かんだことの逆のことやる方が正解なことが多い。
風に対しても同じ。
向かい風、というだけで本能的に風に対抗しようと、普通のスングより力を入れてしまう。
するとボールには余計なスピンがかかり、結果としてより風に弱い球になってしまう。
横風に対しても同じ事。
その風に対抗しようとすればするだけ、余計に風に影響されるボールを打ってしまう事が多い。

ただ、向かい風に対して「力を抜け」というのは、言うのは簡単だが実際にやることは易しくない。
そのために、カーチス・ストレンジは「追い風のつもりでスイングしろ」と言っているのだ。
覚えがあるだろう、(特別強い強風の追い風は別として)追い風と感じたとたんに気持ちが楽になり、結構いいスイングが出来たこと。
「多少ミスしても追い風がボールを運んでくれる」と思えば、不安感で無駄な力が入らずに素振りのようにスムーズに振れる。
向かい風に対して追い風のように振れれば、ボールに余計なスピンがかからないためにドロンとした、風に煽られない球となって意外に飛んで行くものだ。
横風に対してだって、同じ理由で追い風と思うだけあまり風の影響を受けない球筋となる。

力ずくで対抗しようとしても、普通のゴルファーは絶対に風には勝てない。
力ではなく「追い風」と思う気持ちの持ち様で、風の日のゴルフを楽しもうじゃないか。

...ただ、このブログのタイトルを見れば判るように、自分は「いつもアゲンストウィンドばっかり」なんだよねえ。
追い風のときの気持ちなんてあまり長い間経験してないんで...どんな気持ちだったっけ?

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2011年8月27日 (土)

さよなら、エリオット後藤

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ついさっき偶然に知った。
漫画家のエリオット後藤氏が、亡くなっていたと言う。

エリオット氏とは、いけうち誠一氏の主催する漫画家コンペ「バレンタインカップ」で知り合った。
知り合ったと言っても、コンペで顔を合わせた時に挨拶を交わすくらいで、殆ど会話らしい会話をしたことはなかった。
漫画家の人達と、自分のようなイラスト・カット屋はあまり馴染むことがない。
漫画家の人達の仲間意識には、自分たちイラスト屋は入っていないようで、どうも他人行儀になって打ち解け難い(これは私自身の性格の問題もあると思うが...)。
そんなことで、彼の亡くなった事実は一週間近くたった今日になってやっと知った訳だ。

彼は私よりも長身で、細身で(私より20キロは軽くなかったか)、足が長く、ハンサムな男だった。
初めて会ったのは、バレンタインカップでいけうち氏が「今度入った若いのが飛ばすし上手いしなんで、ちょっとぎゃふんと言わしてやってくれ」と言って、同じ組にさせられた時。
場所は季美の森ゴルフクラブ。
ところがこの頃の自分は、ドライバーが合わなくて調子が良くなかった...結局、まともにドライバーが当たったのはほんの2ホールだけ。
見事に返り討ちにあってしまった。

それ以来、バレンタインカップで会った時には、スコアを聞き合うようになったが、殆ど自分の負けだった。

まだ若い。
50にはずっと手前だろう。
病気の話も聞いてないし、見るからに健康的に見えた。

突然の脳梗塞だった、と聞いた。
バレンタインカップに参加しているメンバーでは5人目。

この前亡くなった沖圭一郎は、自分と同じ年だったけれど...やはり急なことだった。
人生というのは、本当に先のことは判らないものだ。
いつ終わるかは判らない人生、せめて野の花の香りをかぎながら、出来るラウンドを楽しもう。

好漢、もう一度勝負したかった、ぞ。

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2011年8月25日 (木)

これが自分の精一杯

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きっかけは、自分のオーバースイングを笑われた時だった。

...Tさんは、運動は好きだったのに運動神経には自信が無かった。
小さな時から、野球でも卓球でもテニスでも、一生懸命やっているのにいつも補欠にしかなれなかった。
試合になると応援部隊の一員として、声をからして応援するしかなかった。
いつも晴れ舞台で脚光を浴びるレギュラーの仲間達が眩しくて、自分もそうなりたいと努力を惜しまなかったつもりだが、それ迄の人生で報われたことは一度もなかった。

それがゴルフを始めて、初めてそういう「レギュラー」と同じ土俵に立てたと思った。
補欠で試合に参加出来ない立場では無く、自分にも必ず出場機会が与えられる初めてのスポーツだ、と感じた。
仕事に必要で始めたゴルフに、すぐにハマった。
そして自己流で努力を重ねた結果、ほかの人達と対等の立場で話が出来る(と思っていた)「90」前後のスコアで回れるようになっていた。
自分の打順になると、気分は甲子園の打席のバッターだった。

・・・ところが、その頃から「ちょっとオーバースイングだね」と言われるようになった。
100を叩いていた頃は誰も何も言わなかったが、90を切るようになるといろいろな人が「ちょっとスイングがねえ...」と言い出した。
Tさんにとって、自己流のゴルフスイングは「十分に身体を回して、思い切り振る」つもりでいるだけなのだが、確かにトップで自分の左足のそばにクラブヘッドが見える。
スタートホールでやっている連続写真を買ってみると、クラブヘッドは殆ど地面につくくらい真下を向いている。
「80そこそこで回れるようになって、このスイングは格好悪い」...そう思ったTさんは、自分のオーバースイングを直そうとした。

左手が曲がっているからだ。
コックが遅いからだ。
腰が回り過ぎているからだ。
体重が左足に乗っているからだ。
タイミングが遅いからだ。
グリップが緩むからだ。
....

オーバースイングになる理由は沢山あるのが判った。
しかし、一つ一つ自分で直してみようと練習しても、いざボールを前にしてスイングすると...相変わらずクラブヘッドは自分の左側で地面を挿しているのが見える。
「才能が無くても努力だけは負けない」と自負するTさんは、来る日も来る日も練習場で自宅でオーバースイングを直そうとして、試行錯誤を繰り返した。

そのうちにスイングがぎこちなくなったのを感じ始めた。
そして、あるコンペのスタートホールで...スイングが出来なくなった。
左腕が地面と平行になる迄は、クラブをあげていける。
しかし、それ以上腕が上がらない。
自分でも不思議なくらいにそこで腕が動かなくなる。
無理矢理そこから腕を上げようとすると、身体がぎくしゃくして振り下ろせない。
汗だくになって、何度も腕を上げようとしたあと、Tさんはそのコンペで棄権した...スイングのイップスになったんだと言われた。

Tさんは、その後しばらくゴルフをやれなかった。
しかし、ゴルフをやりたい気持ちは強くなる一方で、なんとか普通にスイングを出来るようにして、またラウンドしたかった。

Tさんが苦労に苦労を重ねて、なんとかスイングを出来るようになって、再びボールを打てたのは3年半後だった。
...両手を離してグリップして、野球のように打つ。
上に上げる感覚では無く、横に振る感覚。
体重移動も回転も考えない。
ボールは両足の中間に置き、左手であげて右手で引っ叩く。
こういう意識で、トップを考えずに済み、クラブを振る事が出来るようになった。

もちろん、なかなか満足するようにはボールに当たらずに飛距離も出なくなったが、とりあえず100を切ることが出来るようにはなった。
一緒に回る人達は一瞬ぎょっとするようだけど、ボールが前に飛べば感心してくれる。

以前のオーバースイングと言われていた時のスコアはまだ出せないが、ゴルフをまた楽しめるようになったのが今は嬉しい。
自分は「一生懸命」しか取り柄がないんだから、オーバースイングもイップスもしょうがなかった。
今のスイングはそんな自分の「精一杯」。

自分のゴルフ人生に悔いはない。
そう思っている。

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2011年8月23日 (火)

「ゴルフの楽しみ方」の(個人的)考察

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「ゴルフ」というもの、中高年以上の人には始めるのに非常に敷居の高かった「遊び」だろう。
自分の場合も、実際にコースに出てみる迄は「絶対にやることはない」遊びの代表だった。

今から30年近く前、ゴルフをやっている人は「人として」なりたくない人間の代表であった。
もちろん、始めてみるとこれは誤解だったし、ゴルフというゲームそのものをも全く誤解していたことが判った。
まあ、「もっと早く始めていれば良かった」の後悔も、実際には経済的な事情で無理だったんだけど。

ゴルフを始めると、まず「戦い」としての面白さにハマる。
毎回いくつスコアを減らせるか、の戦い。
ハンデをいかにして早く少なくするか、の戦い。
そして、知り合いと握って、いくつ少ないスコアで回るかの戦い。
スコアという「数字」の戦いだ。

もちろんほかのスポーツと同様、努力し打ち込めば(ある程度迄)報われる。
しかし、99パーセントの人はこの戦いには勝てずに敗れ去る。
なぜなら、70台でまわろうと、パープレーで回ろうと、少しくらいアンダーで回ろうと、常に「上には上がいる」戦いになることに気がつくからだ。
勲章として、いろいろな競技で優勝したり、クラチャンになったり、どこかの代表になったりすることは出来る。
が、それさえ、さらに上のレベルがあり、さらにトップアマ、プロの世界があり、世界レベルのツアーがある。
実力差は、冷酷に数字で示され、ほぼ全員が敗れ去る。
アマチュア時代、「神」のように上手いとみえたゴルファーがプロになって、1勝も出来ずに金も稼げずに消える。
日本を代表するプロも、海外の試合では予選も通らない...スコアの数字だけを見つめていると、やがてそんなことに気がついて絶望的になる...可能性があるのは、自分の子供や孫の世代だけなんだと。

そんな時にふと空を見上げれば青空がある。
周りを見渡せば、季節感に溢れた緑の世界が広がる...そんな気持ちになったら、スコアの呪縛から逃れて、自分のゴルフの楽しみを探すターニングポイントだ。
スコア以外のゴルフの喜びをそれぞれが探して楽しむ。
ある人は、飛ばすこと。
ある人は、アイアンの感触。
ある人は、クラシッククラブの楽しみ。
ある人は、トラブルショットへの挑戦。

みんながそれぞれの「こだわり」を見つけて、それぞれの「ゴルフ」を楽しめれば、スコアはその時に自分が目標にする数字でいい。

そんな風にゴルフと触れ合って楽しんで行くと、古人が「ゴルフは人生だ」と伝えて来た理由が理解出来る気がしてくる。
一ホール一ホールが「旅」であり、9ホール9ホールが「旅」であり、18ホールが「long way home」の「旅」として楽しめるようになる。
日本のように四季折々に風景が変わる所では、毎回違った季節の中を旅して行ける。
人の手の入った「自然」とはいえ、普通の生活ではあまり感じられない時の流れを感じられる。

ゴルフは、「競技」中心の若者の間では「飛ばし」と「パット」の結果の「数字」のゲームだが、我々中高年にとっては「その過程」を楽しむ「旅」のゲームであると思う。

若者が競技でやる「ゴルフ」と、我々が楽しむ「ゴルフ」は全然違う。
「ゴルフ」は大人のゲームであるが、「ゴルフ競技」は若者のゲームなのだ。

もちろん「旅のゲーム」だからと言って、ボールに触ったり、スロープレーなんぞはもってのほか。
ゴルフは周りに迷惑をかけず、基本的なルールとマナーを守るから、「大人のゲーム」なんだから。

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2011年8月22日 (月)

上達したければ、1mのパットばかり練習せよ

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「上達したかったら、1mのパットばかり練習せよ」...アーネスト・ジョーンズ。

アーネスト・ジョーンズは、第1次大戦で負傷して右足を失いながらも、大戦後片足ながらもパープレーでラウンドしたと言うゴルファー。
「Swinging into Golf」を1937年に出版して評判を得た。

1mのパット。
こんなゴルフをやったことのない子供でも入れられるパットが、実はゴルフにおける全ての上達のポイントなんだという。
1mのパットなんて、ゴルフを始めた当初はそんなに難しいなんて思わなかったはずだ。
だが、ゴルフを知るにつれ、プレーを続けるにつれ、その距離のパットの難しさを感じて来たはず。
それは「入れるに十分易しく、外すに十分易しい」距離。
そしてそれは、ゴルフの特徴である「技術に精神状態が大きく影響する」プレーそのもの。
その証拠に、古今のいろいろなパットの名手でさえ、「自分が1mのパットをいくつ外したか数えきれない」と言う意味の言葉を沢山残している。

この1mのパットを100パーセント沈める自信があれば、ゴルフのプレーは劇的に変わる。
アプローチや、ファーストパットはグリーン場の半径1m(直径2メートル)の範囲に寄せればいい。
そうだとすると、ちょっとライが悪いセカンドショットやサードショットは、無理にグリーンを狙わなくてもいい。
そうなると、ティーショットもOBやワンペナや池にさえ行かなければいい。

すると普通にボギー、パーは確実に撮れるような気持ちになる。

アプローチやファーストパットのミスは、「より小さなカップに近づけなくてはいけない」というプレッシャーに身体が反応して起きる。
1mのパットに自信があれば、2メートルの範囲に寄せればいい「易しい」アプローチやファーストパットとなり、無用のプレッシャーを感じなくて済むだろう。
だから、古今の名人もアーネスト・ジョーンズも、「上手くなりたかったら1mのパットの練習をしろ」と言うのだ。

そして、おそらく世のアベレージゴルファーも殆ど全ての人がこの言葉が正しいのを知っている。

では、何故世のアベレージゴルファーが、いつまでたってもアベレージゴルファーなのか?

答は、この練習をしないから。
理由は一つ。
「つまらない」のだ、この練習は。

1mのパットは、同じ姿勢で、殆ど動きのない運動を繰り返し繰り返し、繰り返し繰り返し.....
およそゴルフの練習でこれだけ単調なものもない。
まだ素振りの方が、体全体を使うだけまし。

普通は20回もやったら、腰が痛くなって、伸びをしてやめる。
これですぐにパットが上手くなったような気もしないし。

このあくびの出る程単調な練習を黙々とやり続ける意志の強い人間だけが、確実に上達の道を歩き続けることが出来る。
これを耐えられない人は、上達を諦めて楽しむゴルファーで満足した方がいい。
どうだろう、皆さんは3日間でも続けられるだろうか。

...自分は無理だった(笑)。

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2011年8月20日 (土)

キャビティーアイアンの誘惑

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ここ数年、自分が主に使うアイアンは2種類になっている。
一つはダイナミックゴールドのs300が挿してある、クリーブランドのTA-3。
もう一つは、スポルディングのオリジナルクラシックアイアン、黒トップ。
こちらは古いダイナミックのRシャフトが刺さっている。

最近でも、古いクラシックアイアンや最近のセミキャビティーなんかをオークションで落としては使ってみたりしてたけど、この二つより「いい感じ」のものはなかった。

もちろん「易しいやつ」や、「難しいやつ」はいろいろあったけれど、結局「打ってみた感じ」でこの二つより気持ちいいものはなかったのだ。
しかし、この二つのアイアンは易しくない...打ち損ねが少なくはない。

以前、「最近アイアンの調子が良い」と言っていた知り合いのX−20を借りて打ってみた時、あまりに易しくボールが掴まり、曲がらないのに驚いたことがあった。
最近のキャビティーアイアンは、本当に易しく進化しているのを実感した。

...でも、結局その手のキャビティーアイアンを買うことはなかった。

実は自分は、以前は最新の技術を用いたアイアンをいろいろと使って来た。
ゴルフを始めた当初こそ、マグレガーやダイワやベン・ホーガンのマッスルバックだったけれど、ピンアイ2やクリーブランドのバスアイアンや、キャロウェイのビッグバーサアイアンも使ったことがあった。
しかし、どれも易しい部分の効果は判りながらも、結局手放してマッスルバックやクラシックアイアンに戻ってしまった。

思うに、易しいアイアンに変えて良いスコアを出すよりも、アイアンを打った時の感触の方が自分には大事らしい。
そして、たま〜にある「これは完璧!」と思った当たりのときの、ボールの弾道も大事らしい。

結局自分は、常にパープレーからいくつオーバーするかが勝負のような上級者のレベルには到底なれず、多くが大失敗したって、いくつか「気持ちいい〜!」って当たりがあれば満足するレベルということなんだろう。

しかし、黒トップは不動の位置にあるが、TA-3の代わりになにか感触の良いアイアン、それも最近流行のディープキャビティーながら打点位置にボリュームをつけて打感を良くしてあるアイアンを、打ってみたいと思い始めている。
...ただ、今からそういうアイアンに浮気すると、またいろいろと欲が出て、再びのアイアン遍歴が始まりそうでちょっと怖い(笑)。

黒トップの2番からで通すか、それとも最近のアイアンか..。

さて、どうしよう...

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2011年8月18日 (木)

夫の3訓

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Rさんは今年で65歳になるが、毎週末自分で車を運転して70キロ離れたホームコースに一人で出かける。
土曜日の朝か昼前に出かけて、ラウンドしたりハーフだけ回ったりしたあと、馴染みの小さなホテルに泊まる。
以前ロッジがあった時にはそこに泊まったのだが、今はロッジが無くなったのでコースの提携ホテルだ。
日曜日は朝からいつもの知り合いのメンバーと回るか、競技の時にはBクラスで参加して楽しむ。

もうそんな生活を25年以上。
酷暑の日でも厳冬の日でも欠かさず通っているので、知人達がみんな呆れているのは知っている。
...幸せだと思う。
6年前に亡くなった夫が事業を成功させて、生活の心配は全く無い状況にしてくれた。
毎週ゴルフに行くくらいじゃ、経済的には何の影響もない。
問題はむしろ自分の体力だが、毎週ゴルフをプレーして来たためか、片道70キロの運転も1ラウンドや2ラウンドのゴルフは全然平気だ。

本当はもっと近いコースに入ればいいんだろうけど、25年以上所属しているこのコースには仲の良い知り合いも多く、コース側も毎週必ず来る自分にいろいろと気を使ってくれているので、非常に居心地がいいのだ。
近くのコースに入ろうと思えば入れるが、また一から人間関係を築き上げるには、自分にはちょっと時間が足りないと思っている。

腕は良くて80台、叩けば100に届いてしまうのが最近ずっと変わらないが、誰もが自分とラウンドするのを喜んでくれるのが嬉しい。
これは、夫が「ゴルフを始める際に、3つの事だけ守れ」と言ってくれたことを、忘れないで守っているからだと思う。

「1・ボールに触らない。
2・速く打って、速く歩く。
3・言い訳しない。」
「これだけ守っていれば、あとは忘れていい。」と夫は言ってくれた。
そんなことを最初に言われたので、自分は嫌われずに今迄ゴルフを楽しんで来られた。
...幸せだったと思う。

夫と一緒にゴルフをしたのはほんの1年くらいで、あとは夫が買ってくれたこのコースに一人で来るようになった。
子供が出来なかった自分には、ゴルフをする時間は十分にあったし。
夫は仕事が忙しそうだったしほかに女が出来ているようだったけど、自分は毎週このコースに来てゴルフをすることが楽しかったから、あまり気にはならなかった。
自分は、確実にゴルフが上手くなることが幸せだったし、ゴルフ仲間がこのコースで増えて行くのも幸せだった。

夫が亡くなった時には悲しかったが、夫と付き合っていた女性の子供が夫の会社に入っていて、夫のあとを継いで会社経営に携わるということで、混乱も無く事態は落ち着いて過ぎて行った。
ほかの女性との間に出来たという子供が立派な男で、自分の生活に何も心配がないように気を使って(多分夫の要望もあったんだろう)遺産を整理してくれて、生活も毎週末ゴルフに行くことも変わらずに今日迄来ている。
...本当に、自分は幸せだと思う。

なによりも今のコースで居心地がいいのは、夫が最初に言ってくれた「ゴルフの3訓」を自分が守っているからだと思う。
知り合いはもう慣れたようだが、始めて一緒になる人は自分のプレーの速いのに必ず驚く。
どんなときでもノータッチ。
素振りを一回して、ボールをセットしたらすぐに打つ。
打って結果が良ければにっこり笑い、ミスだったらすぐにカートに走って次のショットの準備をする。
それだけでみんなは感心してくれる。
自分がそういうゴルファーになれたのが、幸せだと思う。

70キロを走る運転も自分は好きだ。
都会から田舎への風景の変化は、何回来ても毎回違う感動がある。
行く道では、これからのゴルフを想像し、期待し、夢を見る。
帰り道では、反省し、後悔し、次回のゴルフを考え、人生を考える。

そして、やっぱり、自分は幸せだと確認する。

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2011年8月17日 (水)

別れと・・・

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夜が来るから朝が来る

冬が来るから春が来る

別れがあるからまた逢える

ちっぽけな慰めかもしれないけれど
同じではいられない世界は
変わると思うから救いもある

忘れた方がいい事もあれば
覚えていた方がいい事もある
人それぞれだし
事情もそれぞれ

いやだと言っても
朝は来る


(ブログ「人・酒・旅」より)

昨日、京都の大文字焼きが行われた。
結局、陸前高田の千本松原の薪から放射能が検出されたとかで、東北の人が書いた祈りは別な薪に書き写されて燃やされたようだ。
思うのだが、陸前高田と福島原発は240キロ離れている。
ここの松に放射能が検出されたなら、東北どころか東京を含む関東の何からでも放射能は検出されるだろう。

今回の京都の人間の陰湿な放射能拒否の騒ぎは、福島原発が水素爆発を起こした当時の世界の反応と同じだ。
あの時、ドイツで日本人の女性が乗り合わせた電車の席で隣に座った男に話しかけられ、「日本人か?」の問いに「そうです」と答えると、「日本人は放射能に汚染されているから」と席を立った・・・と言うニュースがあった。
普通に考えれば、240キロ離れた松から放射能が検出されるなら、それ以内、いやその外側だって全てのものが多かれ少なかれ放射能に汚染されてしまったと考えるのが普通だ。
それを拒否するなら、行き着く所は「京都に東北や関東の人間は入って来るな」となるんじゃないか?
それが想像出来る騒ぎだったから、今回の京都の事件はもの凄く嫌な感じがしたのだ。
でもその京都だって、原発事故の影響からは逃れられないのが真の現実だろう。
本当は放射能がいやなら、日本を出て行くしかない状況まで来てしまっているのではないか。

我々は諦めて、何処かで放射能と折り合いを付けて暮らして行かざるを得ないんじゃないか。

そして、こんな事態になった原因と責任は絶対に突き止めて公開しなくてはならない。
原子力発電の真の安全性の厳しい検証。
津波があるとの警告を、無視した東電の責任者、および組織への追求。
この事態に人災がプラスされたのかどうかの追求。
そしてこの事故に必死に対応し続ける人たちの、真実の記録。
それに携わった人達のその後の健康。
そして、今はてんでんばらばらに言われている、放射能の本当の影響。

それがはっきりしない限り、東北の津波で亡くなった沢山の人々への想いが放射能によって汚され続けているような気がしてしょうがない。
...お盆の前後にある夏祭りは、本来「鎮魂」と「再生」の思いが根底にあると思う。
その夏祭りが、関東・東北の色々な所で中止になっているのもおかしい。
遠くで開かれる観光のエセ祭りなんぞで、そんな東北や関東の人々の思いなんて判ってもらえるはずがないのに、仏教に共通する行事だからと甘えた結果、こんなことになる。
結局、京都という土地とそこに住む人間がどういうものかよく判った、という事が後に残っただけ。

東北や関東の思いは、地元で大事に繋いで行くしかないものだ。
別れを汚すような事は、もうこれ以上しなくていい。

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2011年8月15日 (月)

フィニッシュはクラブヘッドが行きたい所

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「フィニッシュは、クラブヘッドが行きたい所に行かせればいい」・・・ラリー・ネルソン。

ラリー・ネルソンは、飛ばないが正確なショットを武器に、米ツアー10勝(うち3勝がメジャー)、海外で5勝、チャンピオンズツアーで19勝を挙げている名ゴルファー。
特にメジャーは、1983年全米オープン、1981年、1987年に全米プロで2勝している。

「飛ばないが正確」なゴルファーの言葉としては、意表をつく言葉だ。
普通はダウンやインパクトで力が入り過ぎたり、腕で打ちに行こうとしがちなゴルファーには、「フィニッシュをイメージして、そこに振って行け」というのが適切なアドバイス、とされているのだから。

ラリー・ネルソンは、プロゴルファーとしては決定的に遅い21歳からゴルフを始めて、どのようにして速く上手くなるかをいつも考えてスイングを作り上げていった。
そういう意味では、大人になってゴルフを始めた人の苦労や、迷いや、試行錯誤の数々を一番判っているプロゴルファーともいえる。

そんな男のこの言葉には、自分の体験から来た真実がある。
彼は、フィニッシュを考えて、そこに振って行こうとすると、「いろいろな部分で力が入り過ぎたり抜け過ぎたりしてしまって上手く行かなかった」と言う。
そこで、ダウンからインパクト、フォローにかけてボールを正しく捉えられたなら、フィニッシュはどこに収まってもいい、と考えるようになってやっとショットに正確さが備わって来たのだと。
つまりちゃんとインパクトすることが大事で、フィニッシュはどうでもいい、と考えたことで「彼は」スイングで無駄な力が抜けたのだ。

これが誰にも当てはまるかどうかは判らないが、少なくとも大人になってからゴルフを始めた人にとってや、プロやレッスンプロ(多くが子供時代からゴルフをやって来た人)の言うことを素直に聞いているのに「行き止まり」になっている多くの凡ゴルファーにとって、新しい希望の道を示す言葉かもしれない。
大人になってから始めたゴルフは、まず頭で理屈から理解しようとする。
しかし多くのプロ達は「子供の頃」からゴルフを始めている...つまり考えなくても身体が動くようになっている人が殆ど。
だから、大人のビギナーが「出来ない」事自体が実感出来ていない人が多いのだ。
まず自分が考えずに出来てしまう事を、あと付けで説明しようとする。
...出来ない事を体験していないのに、説明しようとする...そういう人の言葉は、正しくても(出来ない大人には)役にたたないことが多い。

「振り抜くことが大事」なのは判った上で、「インパクトがちゃんと出来ればフィニッシュなんてどうでもいい」と考えて練習してみると、意外に力のはいらない正確なスイングが出来る「かも」しれない。
我々大人は、身体が思う通りに動かないのが当たり前なんだから、まずやってみたいと思ったことをやってみる程「自由」であってもいいんじゃない?

もちろん自己責任だけど(笑)。

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2011年8月14日 (日)

真夏の旅ゴルフ

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夏のこの猛暑が始まる前、しばらく涼しい日々が続いていた。
「来週からは猛暑になる」と天気予報が唄い出した時に、「旅ゴルフに行こうか」と。
真夏の猛暑になる前に、しばらく曇りの日が続くという予報。
高原の涼しいゴルフ場でオープンコンペを楽しもう、と考えた。

軽井沢は涼しいけれど、プレーフィーが高すぎる。
諏訪や八ヶ岳近辺はちょと遠い、那須は暑い。
うちからは日光方面が行きやすいということで、選んだのがきぬがわ高原CC。
標高1300メートルなら、問題なく涼しいはず、と。

そこで、もう一回考える。
どうせ行くなら、途中のそんなに高度はないコースでも、日光近辺は一応避暑地なんだから少しは涼しいはず。
その辺のコースはプレーフィーも安く、9ホールのオープンコンペをやっている所が多いので、鬼怒川高原のコンペの前に練習がてら前日遊んで行こう、と。
距離が短いコースでショットの練習代わりにラウンドすれば、本番がもっと楽しめるはず...

まあ、これが間違いの元だったんだけど(笑)。
丁度前日にオープンコンペがあったのは、PGC。
これが、大変だった。

まず、曇りの予想が朝からピーカン...スタート前から汗が止まらず...
一緒になったのはYさん、ご夫婦。
二人ともノータッチで、実にフェアなゴルフをする。
このコースにも何度か来ているそうで、案内をして頂いた訳なんだけど...
ボールの落ちどころが見えないブラインドホールが多く、ドライバーはもとより、3W、4Wでも突き抜ける。
ショットの調整どころじゃなく、手が縮んでしまうようなホールが多かった。
おかげで、1番から山登り...3番も4番も、崖を下りて、山を登って...息が上がり、心臓は暴れ出し、汗は滝のように流れ、いくら水分をとってもきりがない...

スコアどころじゃなく、なによりボールがなくなる。
ロストになるものが多くて、暑さの中ティーグランドに打ちに戻る元気は無く、やむを得ず「この辺から打ちます」のインチキ処置をするしか無く、スコアを提出する資格もないようなゴルフになってしまった。
そこは多めに多めに書いておいて、2桁スコアを量産し、入賞しないように必死になる始末。

そんなこんなでやっとハーフターン。
そこに携帯に電話..「きぬがわ高原CCのオープンコンペは参加者が少なかったので、中止になりました。でも普通のプレーは出来ます。」
いつものコンペではなく、急に開催することになったオープンコンペだったので、参加者が集まらなかったのだと言う。
折角の涼しい高原のコンペなのに...

しかし、我々は今日のこのコースをラウンドしただけで疲労困憊し、足がつり、膝を痛め、腰を痛め、足指がつりっぱなしになる始末。
うちの奥さんもふくらはぎが痙攣してつりそうなので、とても明日はゴルフ出来ない、と白旗を揚げる。

このコースのコンペはうちの奥さんがビリから三位で、惜しくも3連続ブービーの離れ業を達成出来ず..惜しかった(笑)。
Yさん夫妻は、二人とも飛び賞獲得とかでめでたしめでたし...そして自分もなんとどんけつに近い順位で飛び賞獲得...奥さん用の小さなバッグ。

結局、旅ゴルフ2連ちゃんは中止として、翌日はいろは坂を登って奥日光散策とした。
戦場ヶ原で車中泊をして(さすがに涼しかった)、竜頭ノ滝で団子を食べたり、お土産買ったり、光徳牧場や大笹牧場に立ち寄ってバーベキューをしたり。

帰り道、家に近づくに連れて馬鹿げた気温に上がって行く温度計が信じられなかったけど...着いた自宅は37度だったとさ。

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2011年8月12日 (金)

暑い夏

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朝から車で2時間程走って、父母、それに妹の眠る墓に挨拶に行って来た。
車は冷房が効いているが、一歩表に出るとまるでお風呂に飛び込んだみたいな熱気が押し寄せる、今日の暑さだった。

関東低山が近いこの墓地は、私の世代には全く関係のない土地で、父母の出身地ということで父が購入して用意していた場所...ちょっと簡単に墓参りに、とは行けない距離にある。

年に何回かしか行けない墓だが、お盆の前に掃除と挨拶はしておこうと。
そこに昨年若くして亡くなった妹も、いるはずの場所だし...

暑い夏だ。
父が亡くなったのが7月、母と妹は8月に亡くなった。
暑い夏が好きだったのかもしれない。
無宗教の自分でも、8月の暑い太陽を見上げると何かしら「運命」だとか「人生」だとかを左右する存在を身近に感じる時がある。

病で亡くなった人にさえ思いは溢れるばかりにあるのだから、突然不意打ちのように行ってしまった人々に、残された人の思いは尽きることがない大きさなのは想像出来る。。
...3月11日だ。
どれだけの人が無念の別れを経験したのか。
どれだけの人が尽きぬ思いに苦しんでいるのか。

そうした人々の万感の思いを書いた千本松原の松の薪を、京都大文字焼きで送ってもらおうとした気持ちが、京都の人々に拒否された。
放射能だ?
京都という場所は好きだったが、こんな京都の人間には憎しみすら覚えた。
「もう二度と京都に行くことはない...こんな最低の奴らのいる場所なんか。」

結局、思いが込められた松は、東北で焼かれた。
反響に驚いて、慌てて取り寄せた松には、東北の人々の思いはもう籠っていない。
つじつまを合わせて焼かれる大文字焼きには、きっと京都の人間の醜さが炎となるんだろう。

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2011年8月10日 (水)

旅ゴルフ、行って来たけれど...

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暑い夏の期間は、本当はゴルフお休みのはずなんだけど・・・
涼しい夏が続いていたので、今のうちに夏の8月でも涼しいコースでゴルフをしようか、と9日と10日ゴルフに行って来た...(というよりするつもりだった)。

平地より涼しい、高原のゴルフ場でのオープンコンペに参加するつもりだった。
「だった」というのは、予期せぬことがいろいろ起きて、さっき帰って来たばかり。

詳しくは数日内に、「旅ゴルフ」として漫画にするつもりだけど...


一応予定は、9日に少し高地で涼しいと言うPゴルフコースで9ホールのオープンコンペに参加。
ここは距離が短くトリッキーという評判なので、正確なショットを打つ練習と言うか、身体ほぐし的なコンペ参加...プレーフィーが昼食付きで6200円で安いし。

そして本番は、10日にK高原CCでの18ホールオープンコンペ。
暑くて寝られない夏の車中泊も、1000メートル以上の高地なら涼しく寝られるだろうから、これを目一杯楽しもう、と。

そんな甘い計画が、思った通りになんかならないのは...いい年をして判っていたはずなのにね(笑)。

てなわけで、その顛末は後日。

でも、下界に下りて来たら、なんと言う暑さ!
こんな熱帯夜、どうやって寝ろと言うんだ?

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2011年8月 8日 (月)

入れたのは自分自身だ

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「入れたのは自分自身だ、バンカーがあることに文句を言うな」・・・チャールズ・マクドナルド。

チャールズ・マクドナルドは、アメリカゴルフ協会(USGA)の初代副会長にして、第1回全米アマチャンピオン。
ゴルフの伝統擁護の旗手でもあり、「Play the ball as it lies.」を終生実行し、「ゴルフの精神を理解していれば、ゴルフルールは不要である」という言葉を残している。
ゴルフというゲームは審判がついていないのだから、基本的な精神を理解していればルールというものは簡単明瞭なもので足りる、ということなのだろう。

で、この言葉だ。
「なんでこんな所にバンカーがあるんだよ!」
「このバンカーはひでえなあ...ありえねえ!」
「おかしいよ、ここにバンカーがあるなんて」
「バンカーが多すぎない?」
「このバンカー砂がないよ」
「今日は砂遊びばっかり!」
...
こんな具合に文句タラタラになる人、多いんじゃないだろうか。
あるいは
「30センチ左だったら、入らなかったのに」
「もう1メートル飛んだらピンにくっついていたのに」
...
バンカーとはそういうものなのだ。
日本のコースの設計家が悪いとか、意地悪な訳じゃない。
毎年全英オープンが開かれるイギリスのリンクスコースは、誰が設計したとかじゃない「神が造ったコース」なんて言われている所が多いが、バンカーはそういう風に出来ている。
30センチの運・不運で、天国と地獄に別れるくらいに強烈に存在している。
こういうコースで、バンカーに入れたゴルファーが「こんな所にバンカーがあるのはおかしい」なんて言えやしない。
そのゴルファーが生まれる前から、そのバンカーはコースとともに存在していたのだし、それがそこにあるからゴルフコースなのだ。

なにより、ゴルフボールは自分からそんな所に飛び込まない。
ボールを動かしたのは、ゴルファー自身。
それなのに、バンカーがあることに文句を言うのは、ゴルフを否定し自分を否定することになる。

とはいえ...文句じゃないけど、毎度毎度打つたびにバンカーにしか行かないなんて、そんなゴルフのときもある。
逃げても逃げても、ボールはバンカーに飛び込み続ける。
殆どフェアウェイなんか使わずに、バンカーからバンカーを渡り歩いてグリーン横のガードバンカー。
そこでやっとバンカーから出たのに、アプローチがまたバンカーへ...なんて事だって。
「なんでバンカーばっかり...」なんて言いたくなるのもよく判る。

でも、結局自分がやったこと。
ボールもバンカーも悪くない。

そんな日は、「今日は自虐的ゴルフの日なのかも」とか思って、運の悪い、ツキのない、何をやってもダメな、「可哀想な自分」のゴルフを楽しもう。
不運続きでも、「破滅的な自分のゴルフ」の堕ちて行く姿にも、被虐的な喜びがあるのかもしれないから(笑)。

でも、そんなゴルフが癖にはならないように、ご用心(笑)。

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2011年8月 6日 (土)

久し振りの練習

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先日のラウンドで、あまりに悪かったアイアンの調整のために練習場に行って来た。

ともかく最近は、アイアンのミスが多い。
それも、酷いダフリや当たり損ねが多く、気持ち良い弾道で飛ぶアイアンショットはハーフに一つか二つしかない。

徹底的にチェックするために、まずハーフショットから...
これが真っすぐに狙った方向に行かない。
気がついたのは、アップライトに上げ過ぎていること...それも、手だけで上げているためにクラブがアウトから降りて来て、極端なアウトサイドイン軌道になっている。
そのために普通に打つハーフショットはみんな左側に引っかけとなる。
それを修正しようと手首を進行方向に送り出すと,今度は右にプッシュアウトとなる。

このアップライト過ぎるスイングプレーンは,自分にもう一つ酷い癖をつけたようで,手だけを上に上げようとするために無意識に頭がバックスイングで下がり、ダウンで上げる、という頭の上下動を引き起こしていた。
これがさらに,ダウンで頭を上げる時についでに左サイドを伸び上がらせ、さらに右肩を落とすという「悪の複合技」迄引き起こしていたようだ。

それで修正。
こうなるとグリップなどの応急処置で直るもんじゃなく,スイングイメージを変えなくちゃダメだろう。

それで思い出したのが、カナダのレフティー、マイク・ウィアーのスイング。
彼はテークバックの途中迄の大きなワッグルを必ずしてからスイングに入る。
それは,彼にとって理想のスイングプレーンを通るヘッドのイメージを確かにするためだと聞いていた。
最近では石川が同じような動きをしているが、マイク・ウィアーの動きよりは振り幅が小さいので、何のためかは良く知らない。
それで、一球ずつクラブヘッドが腰の高さになるくらい迄一旦クラブを動かし、そのクラブヘッドの場所をイメージに刻み付けてから、そこを通すようにスイングすると安定したショットが出るようになった。
しばらくは、ショットの度にこの動きをしてみようと思う。

ほかにはスタンス。
スクエアースタンスだと、今の自分にはいろいろなミスが幅広く出るので、クローズかオープンにしてミスの幅を半分にした方がいいだろう。
クローズはバックスイングが自由になる。
オープンはフォローが自由になる。
さて、どちらがいい結果を生むか...

もう一度ラウンドして、それぞれを試してから答を求めたいと思う。

ということで、来週火.水とオープンコンペに挑戦するつもり。
これが今年の俺の「夏休み」なのかな(笑)。

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2011年8月 4日 (木)

ひと月ぶりの「夏ゴルフ」

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7月8日にラウンドして以来、ひと月ぶりにコースに行って来た。
8月2日は天気予報では、「曇りで最高気温29度」...8月初めとしては奇跡的な涼しさということで、急遽「セルフデー」で昼食付き4200円というコースに。

幸いなことに、早めに到着したら「トップで出られますよ」ということで、トップスタート。
湿気はあったものの、風も涼しく真夏とは思えないゴルフ日和。
グリーンは雨のせいで少し柔らかすぎるものの、コースの状態も良く、トップスタートで自分のペースで回れてすこぶる快適だった(といってもいつものことながら、1時間半でハーフ回っちゃったのは速すぎた)。
ひと月ぶりのコースだけど、ドライバーの調子はまあまあ。
飛距離が出ている感じはないが、大怪我をするような曲がりは少ない。
白マナの73Xが、やっと身体になじんで自然に振れるようになったのかもしれない。
問題なのはアイアン。
フックなら打てるんだけど、以前得意だったフェードに全然ならない。
上手く当たったと思っても左真っすぐ...酷いのは左に出て行ってさらに左に曲がる逆球になる。
フックが打てると言っても、フェードを打とうとするよりマシなだけで、フックの曲がり幅がメチャクチャ。
どうにも気持ち悪いので超フックグリップにすると、一応フックなりに安定する。
ダブルフィンガーグリップにすると、球筋は安定するんだけれど...ちょっとでもダフったり、ラフから打とうとすると右手の薬指がねじれて激痛が走る。
前にダブルフィンガーで打っていて痛めた指だが、一度痛んだだけですぐにダブルフィンガーはやめ...それほど痛い.。

ちょっとアイアンを練習しなくちゃいけない...それともアイアンを易しいものに換える?

うちの奥さんは、やはり一ヶ月以上ラウンドしていなかったが、なぜかドライバーは絶好調。
アイアンも、自分で驚くくらいに当たっている。
しかし、相変わらず酷いのがパット。
3パットが当たり前ではスコアにはならない。

1時間半で回ってしまったハーフ(インスタートだった)を上がると、アウトのスタートのカートがずらり...キャディーマスターと相談して、混んでいるアウトの後ろにつくより、もう一度インを回ることに決定。
空いているインで、ショットの調整をやりながら9ホール。
8時前のトップスタートで、18ホール回り終わったのは11時過ぎだった。
その後、セットの昼食をとって風呂に入って上がり。
あとハーフも考えたが、暑くなりそうだったためにラウンドで切り上げることに。
今日の筋肉痛を見ると、ラウンドで終えたのは正解だった(笑)。

次のラウンドは、(アイアンを調整したあと)涼しい場所でのオープンコンペを狙いたい。

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2011年8月 3日 (水)

愛のチッパー?

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Nさんは、長く付き合って来た男と別れようとしている。
特に決定的な事件があった訳ではないが、10年以上付き合って来た男に物足りなさが増して来た結果、出て来た「気分」だ。

男は特にハンサムでもなく、特に稼ぎがいい訳でもなく、特に感性を刺激する訳でもなく、特に好きな訳でもない。
10年以上付き合って来たのは、特に悪い所がある訳でもなく、特に鈍感である訳でもなく、結局特に嫌いな部分がなかったからだろう...積極的に出はなく消極的に「別に嫌いではない」という理由が大きかったような気がする。

Nさんの今の生活は、仕事はある程度責任ある立場を任されてそれなりに充実しているし、飲んだり喋ったりする仲間もいる。
趣味の方では、男と付き合い出してから誘われて始めたゴルフが気に入って、月に2回はラウンドして楽しんでいる...というより、最近はその2回のラウンドが面白くて、結構仕事以外の時間はゴルフに気持ちが行っている、と自覚している。
取り立てて目立つことのない相手の男に、唯一ほかの男達より優れているとNさんが感じているのが、そのゴルフ。
若い頃の一時期熱中したと言う彼のゴルフは、時々曲がって大叩きすることはあるが、総じてスピーディーで気持ちがいい。
殆ど素振りもせずに淡々と、当たり前にあるがままにプレーして行く彼のゴルフは、彼のほかのどんな時よりも格好いい、とは思う。

...しかし、何とははっきり言えない物足りなさが消えることはないので、最近のNさんは「もう潮時かな..」なんて考えていることが多い。
そろそろ彼と、その辺のことをはっきりさせようと、いつそれを言い出そうか考えている時に...男がNさんに言った。
「これ、君へのプレゼント」
「いつまでたってもグリーン周りのアプローチが上手くならないから、今度からこれを使えばいい」
「これはチッパーって言って、グリーン周りからパターのように打つだけでいい」

まるでパターにロフトがついたような形をした、きれいなクラブだった。
(別れ話をしようとしたのを、薄々感じたのかしら)

次の仲間とのゴルフの時に、その「チッパー」とやらを使ってみた。

寄る...嘘みたいにピンに寄る。

今迄はあいつが言ったみたいに、ショットは大分良くなって来たのにグリーン周りが苦手だった。
パターを使えば大ショート、ウェッジを使えばザックリ、アイアンを使えば大オーバーと、何をしてもダメな状態だった。
それがこのチッパーとやらは、パターのように振るだけでポンとボールが上がり、グリーンに乗って転がってピンによって行く。

「くそ! いいじゃない、こいつ...」
これじゃあ、このチッパーが役に立つ限り、あいつに別れ話をしづらくなる...

「愛のチッパー、君の役に立っただろ?」

そう言うあいつの顔が、目に浮かぶ。

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2011年8月 1日 (月)

パッティングの極意は..

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「パッティングの極意は、頭を動かさない、フェースをラインに直角に、それ以外は個人の好み。」...トミー・アーマー。

トミー・アーマーは、メジャー3勝(1927年全米オープン、1930年全米プロ、1931年全米オープン)の名手。

この「パッティングで頭を動かさない」ということは、多くの名手達が同じことを言っている。
おそらくゴルフをやる殆ど全員が、パットの時に「頭を動かすな」という言葉は知っているし、正しいとも思っているだろう。
しかし、それでもなお名手達が繰り返しそう言わなければならないかというと...動いてしまうのだ、頭が。
パットが下手とか、苦手だという人のパットを見ていると、本人は動かしてないつもりでも頭が動いているのが良く判る。
多いのが、インパクトを迎える前に視線がカップの方に動き始める...ルックアップ。
ヘッドアップとも言われているけれど、要するにインパクトが疎かになり、フェースのちゃんとしたポイントで打つことが出来なくなる。
要するに「打ち損ね」ということになる。
原因は、カップが近くにあるため(すぐに見える所にあるために)、結果を早く見たがる「本能」。
あるいは、間違ってなかったか心配になってしまう「不安」。

これを改めるための名言・格言には、良く知られた「入ったかどうかは目で見ないで、カップインの音を耳で聞け」という言葉がある。
実際にパットを打ってみて、カップインした音が聞こえる迄カップを見ないようにする事が苦痛な人は、間違いなくルックアップしているということだ。

もう一つ、以外と多いのがバックスイングで右に、ダウンスイングで左にスエーしている人。
本人は頭が動いていないつもりでも、要するにヘッドと一緒に頭が動いている。
これは案外、パターのフェースをずっと見ていて、自分が動いてないと感じているのかもしれない。

最近流行の理論...高速グリーンなどのパットは、左肩を下げてバックスイング・左肩を上げて打つ、というのがよく言われているが、これも頭の上下動やスエーを誘発しやすい。

とりあえずは、「パットのスイング中は頭を動かさない」事を、頭に刻み付けておくしかないだろうけど。

「フェースをラインに直角に合わせる」...これは当たり前のことなんだけど。
意外に曲がったラインだと、そのラインに直角に合わせるのは難しい。
ラインに対してより深くやり過ぎたり、浅く間に合わせたりしやすい...結果、打った瞬間にラインから外れたのが判るようなパットになりやすい。
今はボールにラインが入っていたりして、それをパッティングラインに合わせ、ボールのラインに対して直角にフェースを合わせる、という風にして「ラインに直角」に合わせ易くはなっているが...
こんなこと丁寧にやっていると、間違いなく「スロープレー」になるので、程々にしておくことが肝心だ。
そんなに時間をかけてそのパットを入れたって、そのおかげでスロープレーヤーのレッテルを貼られたら、スコアよりずっと大事なものを失うことになる。

...どんなパットの名手だって、「パットを打ったら、後は祈るだけだ」と言っているくらい、パットというものは人の手ではどうにもならない部分があるのだから。

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