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2011年9月19日 (月)

他人の金を盗まなかったからって...

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「私は為すべきことをしただけ。 あなたは私が他人の金を盗まなかったからって、私をほめますか?」...ボビー・ジョーンズ。

「球聖」と呼ばれた、ボビー・ジョーンズの有名な言葉だ。

それは、1925年ウースター・カントリー倶楽部における全米オープン二日目、11番ホールの3打目の出来事。
2打目をフックさせて深いラフに入ったボールを、見事にリカバリーしてパーをとったように見えた。
しかし、その時ジョーンズは3打目をアドレスした時に、ほんのわずかボールが動いたからと自己申告して、1罰打を足した。
勿論、誰も見ていない、誰も気がついていない状況で、だ。
その結果、最終日無名のウィリー・マクファーレンと同スコアで並び、翌日プレーオフの末破れた。

翌日、新聞などで「ジョーンズのフェアプレー」とか「素晴らしい敗北」とか、この行為を賞賛する声が出た時に、ボビー・ジョーンズが友人に言ったという言葉がこれ。
ゴルフというゲームの一番の特徴が、「審判が居ない自己申告のゲーム」ということ。
これに従えば、このジョーンズの行為はごく当たり前の事で、彼が言う通り騒ぐ方がおかしいはず。
しかし、当時のアメリカでの新聞で讃えられる程それが「美談」と見えた訳だから、その時代のアメリカのゴルフの「常識」がどんなものだったか想像出来る。
冗談なのか本気なのかは微妙だが、当時のインチキテクニック(イカサマあるいはチョンボともいう)は大したもので、それを表した「How to rob with golf」なんて本まで出版されている程。
それには「卵を産む男」や「手の5番」やら、なんでもありのテクニックが沢山記されている。

まあ、今の日本のゴルフ界だって、どんなものか...
ジュニアの大会でのスコア改ざん、プロの試合でのスコア改ざん、「互助会」と呼ばれるマーカーとの示し合わせ...などなど、本来なら信じられない「トンでも」情報なんだけど。

ゴルフというのは不思議なもので、誰でもそのプレーを続けることで人間形成に役立つような、「忍耐」や「我慢」や「謙虚さ」や「平常心」や「思いやり」を学んで行くくせに...なぜか、競技に勝つようなゴルファーには「いやな奴」が増えて行く。
「いい人」は勝てずに「いやな奴」が勝つことが多くなって行く。
それが、こういうジョーンズのような行為をどこかで否定することで、変わって行くんじゃなければいいんだけれど。

ただ、我々へぼゴルファーは気がつかなかった時は別として、気がついて自己申告しなかったときは、絶対に良い結果にならない。
たった一打でも「ごまかした」という思いは、残りのプレーにつきまとい、後ろめたさと罪の意識でその日のゴルフをフイにしてしまう。
上がってみれば、ジョーンズと違ってそんな一打なんてほんの些細なものなのに。

我々普通の「へぼゴルファー」が、スコアは別として本当にゴルフを楽しみたいのなら、気がついた時にさっさと申告した方がいい。
85も86も、91も92も、107も108も一打で何にも変わりはない。
それなら、「気持ち良く」プレー出来る方がいい。

79と80?
89と90?
99と100?
そりゃあ一打の違いは大きいかもしれないけど、もしインチキしてのそのスコア...気持ち悪さと悔いしか残らないから、そんなもの。

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