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2011年12月30日 (金)

3月11日から

Bu111230_2
3月11日、大震災のニュースは遠い九州の鹿児島で知った。
脳梗塞で倒れた古い親友を見舞いに、やっと行けた九州だった。

「東京が燃えている」と聞いてホテルに引き返し、ホテルのテレビで東北の大津波を見た。

東京に引き返すと、我が家はなんとか立っていたが、仕事部屋の本箱が倒れて中はメチャクチャだった。
...それからずっと、東北の大災害をテレビで見る事になった。

思うのは、我々は神戸大震災の時といい、今回の東北大震災の時といい、なんという資質を欠いた指導者に国を任せていたんだろうか、という事。
神戸の時といい、今回といい、より能力のある政治家が決断をしていれば、救われた命はどれほど多かったんだろうか、という事。

彼等は悪人であるとか、無能であるかというのではない。
我々と同じような程度の人間だという事が問題なのだ。
国家の未曾有の危機という時には、間違いの無い決断を自分の身命を賭して実行出来る、常人ならざる大人物が必要。
それはつまり、我々と同じような事しか考えられない人間が、「決断」する力がある場所にいてはいけないんだ、という事。
本当の責任は、無論そんな人間を選挙で選んで来た我々にあるのだが...

そんな事態に対応出来ないレベルの人間が、政治家のみならず、原発の破滅的な事態を引き起こした企業にも居たし、真実を放送しなかったマスコミにも居た。
政治家は何が優先事項か、何が一番必要なのか、我々と同じ次元でしか判断出来ず、企業は住民の命より企業の存続を優先し、マスコミは未だに「大衆は愚か」だと決めつけ、「パニックを起こすから」と真実を隠し続けている。

(自分は利巧だと思っている)馬鹿ばっかりじゃないか。
政治家というのは、高邁な精神と明晰な頭脳を持ち、身を捨てて命を捨てて国と国民に尽くす、サムライではなかったか?
マスコミというのは、いや、ジャーナリズムというのは、権力を恐れず、媚びず、ひたすら真実を追究し、闇の中に一筋の光を当てる孤高の存在ではなかったか?
企業の利潤の追求というのは、客が幸せになってこそ存続し成長出来るのが常識ではなかったか?

家を失い、職を失い、希望を失い、体調を悪くしつつある被災者にとって、一刻を争う援助が必要なのに、遅々として進まない今の状況は、どうすれば打開出来るのか。
政治家は、今こそ「自分が責任を取るから」と、行動を起こすべきではないのか?

力が無く、頭も無く、金も無い普通の国民の我々は、こんな遠くで痩せ犬の遠吠えのように、力なく吠える事しか出来ないけれど...

ともかく来年3月までに、震災から一年のうちに、全ての被災者がまず一歩歩き出せるように、大きな援助の手が届く事を祈っている。
遠く離れた場所では買い占めなどが起こっても、現場では決してパニックなどは起こさずに、ひたすら耐えて来た人達だ。
被災者に大盤振る舞いでいいじゃないか...国民の大多数はそう思っている。

原発の問題は、半永久的に続くだろう。
メルトダウンも、メルトスルーも、「起きてはいけない事実」が起きてしまった以上、楽観的な見通しは何も無い。
「終わらない」という事を忘れてはならない。
我々は、本当の意味で影響の判っていない「放射能」とともに生きて行くしかない。
長い時間の中程度の放射能が、本当はどれほど有害なのか無害なのか、まだ誰にも判らないらしいのだから。

人生は無常...そう改めて考える。
だから、せめて今、生きている事を噛み締めたい。

...本当にいろいろな事があった一年が、もうすぐ終わる。

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