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2014年6月

2014年6月 6日 (金)

ポチッ!で来たもの−1

Bu140531昨夜は久しぶりに東京に出て、古くからの友人達と酒を飲んだ。
今度の6月4日に一緒に遊ぶ面々だ。
彼等がまだ「若手」と呼ばれた頃からの付き合いだけど、そんな彼等ももう職場のデスクとなってベテランらしい落ち着きを見せている...が、一旦酒が入れば、いつの間にか目に映るのは数十年前の若いままの姿...
きっと4日のゴルフも楽しいものになるはずだ。


そんな4日のゴルフで「使おうか」と思う気になって来たのが、先日ポチしたこのアイアン。
もう一つの方は来週になりそうだけど、先に来たのがこのホンマの「ヒロホンマ・PP737」アイアン。
以前CL505アイアンをポチした事が有ったが、あれはフェースの形.構えた時の目に見える形が気に入らなかった。
このPP737はひと昔前のホンマのアイアンを代表する名器。
これとPP727は当時のトップアマの間で一番人気があったと言う。
そして当時のプロもこのアイアンを使ったものが多く、このPP737は全盛期の伊沢が使っていた。
番手は3〜10プラスPP102のサンドウェッジ。
本当は11番も欲しかったが、1万円で落とせたんだからそれ以上は贅沢と言うもの。
そしてこのクラブは、ちゃんとした「銅下三層メッキ」!
サンドのPP102は削れたソールなどから銅メッキの存在が判るし、10番も少し紙ヤスリで削ってみると奇麗な銅の色が出て来た。
そして、ソールの形状も黒トップに比べたら実にオーソドックスにバンスの丸みがついている...フェースの形状も自分好みであるし、構えた感じも違和感は全く無い。
一つだけ残念なのがシャフトがダイナミックゴールドのS400ということ...出来ればS200かS300が良かったんだけど、まあ嫌だという程でもない。

ということで、このアイアンに11番相当のアプローチクラブ(54度くらいのがいいらしい)を加えて、今度のラウンド使ってみる事にした。
今は左手指がまだ治ってないので練習はやめておいて、ラウンドで調節してみる。
難しいアイアンだとの評判も、超スクープソールで高重心の黒トップに比べれば数段優しいはずだし、多分番手の飛距離も黒トップと変わらないはず。
あとの問題はこういうクラブは上級者が使っていた事が多いので、ライ角・ロフトの調整をしている可能性が高い事...これが上手い工房で調整したのであれば問題ないし、もし自分の好みに近く調整してあるのであれば大ラッキーということ。

ぶっつけ本番での使用となるが、当時は高くて手が出なかったヒロホンマ...どんな使い心地なのか凄く楽しみだ。

もうワンセット、ダンロップものの珍品は4日のラウンドには間に合わない様なので、後日紹介します。

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やむを得ず? ポチッとやったもの

Bu140530まだ先日痛めた左手小指が治り切らない。
左手をグリップすると小指の第一関節がかなり痛むので、まだあれ以来練習にも行っていない。
6月4日に仕事関係の人達とのゴルフがあるのでちょっとは練習したいんだけど...今スイングするとまた指が痛くなりそうなので、多分ぶっつけ本番になるだろう。
アイアンはカーボンのファットシャフトアイアンを使えば、普通のゴルフは出来ると思う。

...しかし、改めてスクープソールのアイアンの難しさを思い知ったので、芝がちゃんと生えたシーズン以外に使うアイアンが必要になって来た。
今までそんな時にはクリーブランドのTA-3アイアンとウェッジを使って来たけど、これが溝規制に引っかかって(年に1〜2度参加する)月例では使えなくなるので、どうしてもバンスのついたアイアンが必要になって来た。
(黒トップは、芝の状態がいい時にはずっと使い続けるつもり)

そこでクリーブランドのアイアンセットとこれから使う予定のないアイアンセットの二つをオークションに出すことにして、かわりに溝規制に引っかからない抜けの良いアイアンをオークションで物色した。

一応使いたいものとしての条件は、
1・溝規制に引っかからない。
2・高くない(目安として2万円以下...出品するものの合計がそのくらいの値段だから)
3・スクープソールではないもの(抜けが良い事)
4・マッスルバック
5・打感が良いもの
6・評判の良かったもの
7・銅下メッキの三層メッキとかの作りの良いもの
8・新しく買った58度のサンドがバンスが08と少なくてバンカーで使いづらいので、バンカーで普通に使えるサンドがついているセット。

そんなモノを探してみると...当然新しいものはいいものが沢山有るけど、高いので候補外。
すると、どうしても20年以上前の、それなりに評判が良くて値段が高かったものが候補になってくる。
ここからはそのアイアンの「程度」と、「難しさ』と「打感」と「作り」の評判をチェック。

例えば抜けの良さでは、マルマンのコンダクターシリーズが評判がいい。
値段の高かったものならホンマのヒロホンマシリーズ、操作性の評判ではミズノやダンロップのプロモデルが良かったし、打感ではもっと昔のクラシックのウィルソンもいい。

さて、そんなモノを探して見つけたのが2点。
いずれも、バンスのついたサンドウェッジがついている。
そして値段は1万円前後(いずれも9本セット)。
有ればいいと思っていた銅下メッキも、ひょっとするとしてある可能性がある...これは現物を調べてみないと判らないけど。
それが届くのは今日か明日。
,,,さて、使えるかなあ...

久しぶりの2点ポチ...どんなものが来るか、当たりか外れか(笑)...こんな時間も悪くない。

私がどこのアイアンセットを買ったのか、当てられる方はいるだろうか(笑)?

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知られざる来日プロ〜2 (掘っくり返し屋のノート〜9)(後編)

Bu1405284_2関西でのフードの活躍について、宮本留吉は回想録でカナダのプロと書いているが、彼は茨木GC設計の傍ら大阪市内で週1〜2でレッスンをしていた、と有る。
宮本はフードについて、大男だが動きが緩慢でボールも飛ばず、大したことのない腕前であったと書いているが(ただ、宮本自身もレッスンが下手だと言われていた)....これは宮本の負けん気を表すものか、フード自体が本当に大したことがなかったのか。

しかし、1924年に神戸GCでプレーをしている写真を見ると大きなフォロースルーのスイングで特に問題があるようには見えないし、何より関西プロゴルフに大きな影響を与えているのだ。
彼が甲南GCでレッスンをしていた際に、日本のプロの祖である福井覚治が大きな影響を受けた為である。
それまでは福井は見よう見まねでゴルフを始めた為、理論は西村貫一を始めとする原著の読めるアマチュア達から教わるしかなかったのだが、フードの存在は福井にとってプロ意識とショットメイキングを培う切っ掛けとなり、彼のレッスンが上手くなった、と『Golf Dom』編集長である伊藤長蔵は福井の追悼記事で書いている。
そして福井の下からは何人のものプロが巣立っており、彼等は関西の主要倶楽部のヘッドプロになって、更に新進を育てている。

フードは1925年8月11日に、来日したオーストラリアゴルフ史に残る名Amアイヴォ・ウィットン(1893〜1967、オーストラリアOP五勝)と茨木GCでエキシビションマッチを行っており、これが日本で行われた最初の海外プレーヤー達の競技であった。

関西滞在中、甲南GCを始め阪神間でレッスンを行い、日本ゴルフ界の底上げに一役買っていたフードなのだが、1923〜25年にかけて『来日したプロ』という表現で、日本人ゴルファーが彼を優遇や持て囃す等してスポイルしてしまう、という外国人ゴルファーからの批判が起きており、これとどう向き合うかとして『海外のようにプロだからという理由で卑しい職業の如く言うのは感心しない、西洋の風習を丸呑みするのは感心しない』という意見や、『ゴルフが始まって20年そこそこの日本では致し方ない、それよりもスキルアップを図るのを優先すべきだ』という意見が雑誌に書かれている。
興味深いのが1925年当時、彼のせいで、というより情に厚い(?)ゴルファー達が彼に余計な金を振りまいたことにより、それに会わせて関西のプロ達が影響されてレッスンフィが1ラウンドの同伴プレーで九円(現在の45000円位)、訪問レッスンでも1回十〜十五円(50000円から75000円くらい)と非常なインフレを起こしたという批判も起きている。
*幸いな事に、この問題は国内ゴルフ界の発展と共に薄れて行き、1930年代に入るとレッスンだいは時間五十〜三十銭、同伴ラウンドはトッププロでも二円弱までに落ち着いた。

彼が日本を離れた明確な時期は判らなかったが、『Golf Dom』1925年10月号巻末コラム『19Th Hole』に送別の文が掲載されている。
『茨木のコースを作ったプロのフードが我が国を去る日も近付いた。彼は北米の西海岸に渡って職を求めるとの事である。彼の滞在についてこうあって欲しい、ろ思う点も少なくなかった。が、その責任の一半は我々ゴルファー達が負うべきものではなかったで有ろうか。しかし総勘定をしてみて、フードが茨木のコースを残して去るのはそれだけでも我がゴルフ界への貢献であると思う。(現代語訳)』

彼が日本を去ってからの動向については米英の年鑑で調べているものの、亡くなるまで?ゴルフ年鑑に載っているトム・ニコルと違い、残念ながらフィリピンにおけるコースレコードの記録以外は、未だ確認出できていない。

   〜了〜
2014年4月4日

参考資料
1 日本ゴルフ協会七十年史  日本ゴルフ協会 1994  
2 日本のゴルフ史(復刻版)  西村貫一  友松堂
3 新日本ゴルフ60年史  摂津茂和  1977 ベースボールマガジン
4 茨木カンツリー倶楽部40年史 
5 Golf Dom   1922〜29年分
6 Nisbet`s Golf Year Book 1910.12年版
7 Golfer`s Hand Book   1922年版
8 The Australian Golfer`s Hand Book(第三版)  1964

1・3以外はJGA資料室にて閲覧


前後編の記事の著作権は、松村信吾氏に所属します。

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知られざる来日プロ〜2 (掘っくり返し屋のノート〜9)(前編)

Bu140528_2最初期の訪問プロ達の中で注目に値するのが、今回の主人公ダヴィッド・フード(David.Hood生没年不明)である。
彼の名のスペルはDavid.Hoodであるが、本によっては(特に新しいもの)ディヴィッド・フッドと書いてあるものも見受けられる。リアルタイムで彼と交流のあった人物はフード乃至フゥードと記しているので、今回はダヴィッド・フードで統一したいと思う。

先人が記し伝わる事、リアルタイムの史料を拾い集めて調べた所、彼はスコットランド出身のプロゴルファーで、兄もプロゴルファーであったと雑誌に書かれている。
ロングノーズ時代にマッスルバラのTomas.Hood(1843〜1909)というクラブ職人が居り、縁者ではと考えるが確証は得られていない。

フードは来日前マニラのカルカーンGCに所属しており、先に日本で働いたトム・ニコルから同地のゴルフ情勢を聞いて、1921年にニコル来日を斡旋した船津完一の世話で来日した、という事が戦後のゴルフ書籍に書かれているが、調べてみるとオセアニアに足跡が残っている事に気付いた。

1912年版『Ncibet`s Golf Year Book』にニュージーランド・クライストチャーチにあるHagleyGC(1900年開場当時9H3000y)のプロとしてDavid.Hoodの名が記され、更に1922年版『Golfer`s Hand Book(英国)』の『植民地のプロ』の項目にも同クラブ所属として名前が載っている。
他にも1906年度オーストラリアPGA二位のフレッド“F.G"・フードというプロが同時期ニュージーランドのAuckLandGCに所属していた他、1920〜50年代にかけて、オーストラリアのトーナメントでHood姓のプレーヤー(男女問わず)の優勝記録が残っている事から、彼等が家族でこの二国へ移住していたと見られる。
それを裏付ける話として、本人が『Golf Dom』記者に1921年10月シドニーでPoplewell某(オーストラリアOP二勝のフレッド・ポップルウェルの事だろう)と行った雨中のフォアサムで、ブラッシーショットをした際、クラブがすっぽ抜けて120〜130yd飛んで行った話を語った記事が同誌1922年12月号にある事から、彼は季節が逆となる南北半球を上手く利用して渡り鳥のようなプロ生活をしていたと見られる。

さて、フードは来日の打診を東京GCの井上信・大谷光明(共に日本Am勝者でゴルフ界の重鎮)へ行っており、当初は駒沢・程ヶ谷・根岸・新宿御苑などでレッスンをしており、Golf Domには彼の活動が度々報じられていた。
例えば程ヶ谷CCの九ホール開場コンペティションに特別出場して午後に37・37=74で廻り、最初のコースレコードを作っている話や、駒沢ではメンバー達とマッチをした際の出来事が1922〜23年の記事にあり、1924年のキャディトーナメントで同地のキャディ達がフードの影響を受けたスイングをしている事が書かれている。
関東の活動で特筆すべきは、宮内庁の要請により新宿御苑で行った宮内官達へのレッスンで、1922年中に4〜5回行っており、同年関西に移った頃にもレッスンに訪れているようだ。
彼はこの時に日本で初めて映画フィルムにプレー(スイング)が撮影されたプロになった様で、映像からダウンスイングにおける体重移動の欠点が判り、直したら30yd距離が伸びた、と『Golf Dom』記者に語った話や、ゴルフ書籍収集家で熱心なゴルファーであった西村貫一に『初めて自分がどんなスイングをしていたかを見た』と語った話が残されている。

上記のフードが1922年には関西に渡っていた事について、日本ゴルフ界の正史では彼が1923年7月に茨木CCの要請で大阪へ渡り、同倶楽部のコースを設計した事が書かれている。また、茨木CC年史にも1923年8月3日に委員が彼と大阪で会見した、とあり、更に翌24年1月12日に彼の滞在費用調達のため青木(甲南GCの所在地)でレッスン会を開いたとある。
これが彼の関西における最初の活動のように読める内容であるが、『Golf Dom 』1922年11月号に甲南GCと思しきコースで同誌編集長の伊藤長蔵が撮った、彼のマッシーとドライバーショットの三枚撮り写真があり、更に先述のクラブが彼方に飛んで行った話は記者(無記名だが伊藤と見られる)がフードのレッスンを甲南GCで受けた帰路のやり取りから書かれている。
その為正史の記述は、恐らく茨木CCに関わった最初の日時、と言うべきで、関西に初めて訪問した訳ではない、と訂正するべきではなかろうか?

因にフードは1922年末〜1923年春にかけてマニラに戻っており、1923年3月には古巣カルーカン(Caloocan、文中マニラGCとも書かれているが、そちらの住所はCaloocanであり、関連を調べている)で自身が出したパー68を亢進する67、66を出した事がマニラタイムスの記事となる。66はフィリピンOP勝者、ウォルター・Z・スミス(Am)とのプレーの際に成し遂げられ、両者の好プレーが大きく報じられた。(邦文記事『Golf Dom』同年4・5月号)。
恐らく、正史でフードが1923年に初めて関西に来たように書かれ低るのは、マニラに戻った事により、以前の行動がリセットされたと考えられたのか。

*なお、茨木CC(現東コース)の設計はフードとなっているが、敷地や建設費問題の難事により建設に時間が掛かり、9Hを残して彼の契約が切れ、残りは程ヶ谷CCから招聘のグリーンキーパー峰太刀造が苦心の末仕上げた。
その後も同倶楽部のグリーンコミッティであった加賀正太郎がコース監視直後からアリソン提出のプランに沿うよう幾度も改修をして整えており、初期の発展は二氏の奮闘によって成り立った。

(続く)

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細かい事を考え過ぎたら、バックスイングが・・

Bu140526_2「細かい事を考え過ぎたら、バックスイングがうまく出来る分けないさ」...アーノルド・パーマー。
この言葉には、あとに続く言葉にアーノルド・パーマーが見つけた我々に役に立つ「スイングの真実」がある。
曰く
「大事な事は、頭を動かさず、正しいグリップをし、クラブと腕と肩を一体にして後ろに引けば、トップの位置など全く問題ではない」

疑問は一杯あるだろう。
「頭を動かさない」のは判るが、今の時代のレッスンでは「頭一つくらい動いてもいい」が常識だ。
正しいグリップ?...言うのは簡単だが、実際何が正しいグリップなのか判らない。
「クラブと肩と腕を一体にして後ろに引く」...コックは? 左腕は? 右肘は? 左肩は?
「トップの位置はまったく問題じゃない」...どこに上げてもいいの?

パーマーのスイングは、確かにトップまで一気に上げる...コックだのシャフトの方向だのヘッドの位置なんて全く気にしていない様な勢いで上げる...だから「頭を動かさない」が、スイングの軸と言うか中心と言うか錨のようなものになるんだろう。
クラブも腕も肩も一体にして上げる...パーマーのスイングは、トップで完全に背中が目標方向を向く。
やってみれば判るけど、肩や腕を意識しないで背中を目標方向に完全に向ける程上半身を回せば(捻れば)、切り返したあとはその溜まったパワーで些細な事は関係ない様なスイングになる(笑)。

要するに頭を動かさずに背中を目標方向に完全に向ける程のバックスイングをすれば、些細な事は関係なくボールを引っ叩けるから結果が悪いはずは無い!...というパーマーの考え方。
まあ、普通のヘボゴルファーである我々にとって「そんな馬鹿な!」ってなる様な理論だけれど、いやって程ゴルフスイングを勉強したあげくに「テークバックの始めは30センチ飛球戦に沿って動かす」とか「左腕が地面と水平になったらコックを完成させて」とか「左手甲が正面を向いたらクラブフェースは」とか「右肘は身体につけたまま」とか...膨大なチェック項目をクリアーして行ったスイングで、あなたの納得のいくボールを打てただろうか?
望んだ様な結果や、それに近い結果を感じた事があるだろうか?

殆ど無いはずだ(笑)。
真面目に取り組んでいればいる程次々と新しいミスが出て来て、それを修正する度にますますスイング理論の迷宮に深く迷い込み...やがては自分が何を目指していたのか判らなくなる。

ならば、ここでパーマーの言う通りに古い上着(新しい上着か)を脱ぎ捨てて、素っ裸になってただ頭を動かさずに背中を向ける程に身体を回す。
そして、パーマーお得意の「ヒットイットハード!」だ。
頭が動いたりグリップが緩むとボールにちゃんと当たらないけど、意外に気持ち良く振り切れると思う。
ついでに言うと、「フィニッシュなんて考えない」もパーマーの言葉。
「インパクトまでが大事であって『打ち抜いた』らあとはボールの行方に関係ない」ということ。

真面目なゴルファー程、どうにもならない袋小路に陥りやすいのがゴルフスイング。
地面にあるボールは自分からは動かないから結果は全部自分の責任。
「悪いのはみんな自分」と自分自身を責め立てて、「ゴルファーってのはみんなマゾか!」ってくらいにイジイジと反省しながら嘆き悲しみ愚痴を言う。

だからこそ、「ヒットイットハード」と「ゴーフォーブローク」のパーマーゴルフ、やってみるとゴルフスイング理論に侵されたマンネリヘボゴルファー脳を、一気に覚醒させる事が出来るかも知れないぞ。

まあ、木っ端微塵になる事もあるだろうけど、一度壊した方がいいゴルフスイングもあるからね。

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月例参加中止

Bu140524_2

明日の日曜日に久しぶりにホームコースの月例に参加しようと思っていたんだけど...先日痛めた左手の指がまだ治らないので参加を取りやめた。
特に小指の第一関節が痛くて曲がらない。

いい季節・いい天気の月例なので楽しみにしていたんだけど、左手がグリップ出来ないんじゃゴルフにならないだろう。

こうなってみると、黒トップのスクープソールって奴は面倒なソール形状なんだと思う。
黒トップが出た当時はかなりの数のスクープソールのアイアンがあったはずだが、今はスクープソールのアイアンなんて全く無くなってしまった。
少し前までは「プロ仕様」というのにスクープソールにしたアイアンがあったと聞いているが、プロとて試合でのミスを少なくする事が一番大事とあって、みなバンスを効かせたアイアンを使うようになったとか。
今自分が使っている黒トップは、元々スクープソールな上に前の持ち主がロフトを立てる調整をした為に更にとんがったスクープソールになっている...その為に、ほんの少しのミスでもダフリの元となる。
それを嫌がると、殆ど真上からボールを潰して打つか(ディボット跡がえらく深くなる)、パンチショットのようにボールに当てて終わりのイメージで引っ叩くしかなくなる(これは肘を痛めやすい)。
上手く打ったときの快感が忘れられないのと、アメリカのクラブ職人の腕が世界最高だった時代の素晴らしい美術品の様な作りに惚れて使っている訳だが、今度の様な硬い地面に突っかかって指をひねるというのは予想していなかった。
元々スクープソールのアイアンは、ベントのフェアウェイのコースで半分沈んだボールをダウンブローで打ち込み、ベント芝ごと柔らかい地面を奇麗に切り取る為のソールだ...このアイアンではベント芝のフェアウェイでは、カミソリで切り取るように抵抗無くワラジ大のターフが取れる。
日本の様な野芝のフェアウェイでは奇麗なターフは取れないが、普通は地面に深いディボット跡を残しながらもそれなりに打ち通せる。
しかし芝の生え揃わない季節は、土の状態が柔らかければそれなりに穴を掘りながらもボールは打てる...でも、土の状態が堅いと地面に突き刺さって抜けない場合がある。
これはグリップをしっかり握っていれば何とかなるんだけれど、自分のようにゆるゆるにグリップしている場合は予想外の抵抗にあうとこんな風に指を痛める事になるという訳。

あの時は、つい左足下がりのライで打ち込むのではなく、ソールを滑らせてスライスを打とうというイメージになってしまった。
以前のエースだったTA-3 だったら問題なかったのが、黒トップは見事に全く滑らずに突き刺さってしまった..
黒トップを使い続けたいんだけど、今の左手の指の痛み(小指の第一関節が特に痛くて、薬指と中指の第一第二関節が痛くて指を握れない)とあとで痛くなって来たのに気がついた右手の薬指と中指、それに親指の第一関節がゴキゴキいっているのを考えると...芝の生え揃う夏までは使うのがちょっと怖い。

さてどうしよう。
Aクラスの月例では溝規制にあったクラブを使うように通達が出ているので、今の所手持ちで多分大丈夫なのはウィルソンのファットシャフトアイアン(これは適合表に見付からないだけか?)だけしか無いし、使いたいクラブが他に特にある訳でもないし...
指はそんなに時間がかからずに治ると思うが、溝規制に適合した打って「気持ちの良いマッスルバックアイアン」はどこかに無いかなあ...

ダンロップ、ホンマ辺りの昔のプロモデルでも探してみようかなあ。

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キャディーM

Bu140523Mさんは今年で85になる。
もう姉妹も夫も先に逝ってしまったけれど、Mさん自身はしっかりとしていて特に病気もボケもない。
見た目はまだ60代で通る程若々しい...と自分では思っている。
足腰はまだしっかりしているし、買い物も散歩も気楽に出かけられる。
他の人から健康の秘訣を聞かれたりするが、特に何をしている訳でもない...今は。

「キャディーをしていたおかげかな」
自分ではそう思っている。
...Mさんは30代半ばからキャディーをしていた。
自分の親戚縁者には誰一人ゴルフをする人なんかいなかった時代、自転車ですぐ行ける距離にあったゴルフ場でキャディーの募集があった。
キャディーという仕事がどんなものかも知らなかったけれど、夫の稼ぎは少なく子供二人を抱えて生活も苦しかったし、当時のこの地域には他にろくな仕事は無かったので必死の思いで応募した。
結構たくさんの女性達が応募していたが、ともかく若くて健康な女性という事でMさんも採用された。

最初はゴルフというものがどういうものかを知る為の訓練と勉強が続いた。
何が面白いのかはさっぱり判らなかったが、1ホール1ホールの地形や形や距離について覚えなければならなかった...独特の名称や英語の言い方やヤードとかフィートとかの単位、複雑なルールや特殊なローカルルール...覚える事は山ほどあって、諦めてやめる人もいた。
Mさんは自分で頭が良いとは思えなかったが、記憶力には自信があった。
だから理屈を考えずに丸覚えに徹した...各ホールの数字を全て記憶する事が出来るようにメモも作った。

実際にキャディーの業務に出てみると、すぐに臨機応変に対処する事は出来なかったけれど、日を重ねるごとに頭の中のデータが増えて行きキャディーとしての評判も上がって行った。
特にグリーンのラインなどは、ついてまわったゴルファーの打ったラインをなるべく覚えるようにしていたら、「あのキャディーさんはラインが判る」と言われるようになった。
当時のこのコースのメンバーは、地元の名士と言われる人々や企業の社長クラスや、議員達や医者や金持ちで、そういう人達がMさんを指名してくれるようになった。
そうして評判が良くなるにつれ、キャディーフィーとしてもらう日当の他にチップをくれる人が増えて、収入はかなり良くなって行った。
生活費や子供の学費もMさんの稼ぎでまかなえるようになり、暮らしに余裕はできた。

しかし、当時のキャディーの仕事は楽ではなかった。
手引きカートに4つのキャディーバッグを乗せた重量はかなりのもので、それを芝の上で引いて歩く事はかなりの肉体労働だった。
コース自体が比較的平らでアップダウンはそれほど無かったけれど、重いキャディーバッグばかりになった時など一寸した坂でどうにも動けなくなる事が何度かあった...そういうときはメンバーの人達が押して助けてくれたけれど。
また、距離として6キロちょっとのコースなのだが、上手くない人が揃うと(殆どの場合そうだった)ホールをジグザグに歩き回る事になるので、実際に歩く距離は10キロを越えるかと思う様な事が多かった。
その為に、家に帰ってくると疲れ果てて、食事の支度をしてすぐにバタンと倒れて寝込んでしまうなんて事が何度もあった。

そんな仕事が20年近く続いたあと、カートは電動式になって楽になった。
しかし、可愛がってくれたメンバーの人たちはだんだんコースに来なくなった。
若返ったゴルファー達にもMさんのコースに対する知識と読みは評判だったので、コースではMさんをキャディーとして置いてくれていたが、同僚達の数は減って行った。
やがて平日はセルフの客が主流となりキャディーを使うゴルファーは減って行ったが、時折来るメンバーの人にはMさんは相変わらず人気があった。
60になった時に定年で辞めようと思っていたが、コース側がメンバーが来る日だけでもMさんに出て来て欲しいというので、日曜祭日や競技のときだけキャディーの仕事を続ける事にした。

その仕事は70近くまで続いた。
しかしそれも、ある日コースが倒産、という事で終わった。
肩の荷が下りた、と言う気がまずしたが...
コースを歩く事が無くなったためか、体重が一気に増えた。
今ままで溜め込んで来た記憶がもう役に立たないのか、と思うのが寂しかった。

一時的な体調の不調は、医者に行って相談して「毎日歩く事」で改善された。
その後特に体調が悪くなる事なく今まで来たけれど、その間に姉妹が亡くなり、夫が先に逝った。

Mさんは思う...キャディーの仕事のおかげで今の健康な自分があり、あの仕事のおかげで子供達は立派に育ち、元気な孫を連れてくる。
ゴルフというものに自分は関わって生きて来た...不思議な事は、それなのに自分は一回もゴルフをした事が無いという事。
キャディーの仕事を始めて少し経った頃、支配人に何度か「自分でもやってみない?」と言われた事はあったけど、当時はとてもそんな余裕は無かったのでそのままになってしまった。

あの頃のお客さんの楽しそうな顔を思い出すと、そんなに楽しいものなら一度はやってみても良かったかな...なんて、Mさんはちょっと思っている。

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パーシモンが気持ち良い!

Bu14052120日はブログ仲間の「日本ゴルフ昭和化計画」会の会長「セベケン」ことK氏と、会員のO氏との3人で「パーシモン&糸巻きボール&クラシックアイアンのラウンドを楽しんで来た。
驚いた事にO氏は普段のラウンドでもパーシモンしか使った事が無いと言う。

コースは難しいと評判のセベ・バレステロスゴルフクラブ。
フロントからでも難しいというのに、K氏がメンバーなのでこの日はバックティーから(笑)。
パーシモンはここ一年くらいコースで使ってなかったので、少し早めに行って練習はして見た。
まあそれなりに当たりはするが、これに糸巻きボールでバックティーからやって楽しめるかと言うと...ちょっと自信は無かった。

さて、バックティーからのセベ.バレステロス。
意外な事にパーシモンに糸巻きでのゴルフが通用した!
今までどうも苦手だった2番もバックティーから奇麗にパーを奪取。
スコアをとるつもりは無かったゴルフだが、5番までで3オーバー...特に難しい4番も奇麗にパー。
冗談ではなく、自分の今のゴルフに対する考えにもう一度始めから考え直す必要があると強く思う。
300ヤード飛ばす(つもりの)ドライバーでいつもボギーなのに、謙虚な(つもりの)パーシモンでパーなんて(笑)。

しかし、調子に乗った自分に痛いハプニング...6番のセカンド、やや左足下がりのライからスライスを打とうと黒トップを振り抜いたつもりが...振り抜けなかった。
まだ芝の生え揃っていないフェアウェイは、ボールのライ自体はベアグランドの様なものなんだけど、ここはその地面が硬かった。
でこぼこのある地面にクラブのエッジが引っかかって(これも黒トップが特別に強いスクープソールのアイアンだから)、まるでラフで草が巻き付いて止まるように突っかかって止まった。
ボールはかろうじて転がったくらいで、左手グリップの小指・薬指・中指と右手の薬指と中指に激痛が走った。
右手の痛みは間もなく消えたが、左手の指3本は痺れた様な痛みが残ったまま...結局そのホールの残りはまともにクラブが握れずの素8を叩いてしまった。
その後の3ホールはまともなグリップが出来ずにダボ行進...せっかくパーシモンで締まった遊びをしていたのに本当に残念。
セベケン氏とO氏はさすがに普段からパーシモンを使っているというだけあって、上手くセベのバックティーからのゴルフを楽しんでいる。

昼の1時間の休憩の間に、なんとか左手指の痛みが小さくなったので、午後は心機一転!
と思ったんだけど、左手のグリップに力が入らない(特に小指が握れない)為に、ティーショットでテンプラが多発...大事なパーシモンにテンプラ傷を複数付けてしまって、本当にクラブに申し訳ない。
そして黒トップだけど、地面の硬いコースでの使用は難しいものと知った...芝が生えていないと打ち込めばもろに地面に当たって衝撃が来るし、払えばこのアイアンはすべてトップボールになる。
それに、指を痛めてからは全くボールを曲げる事が出来なくなった。
今もまだ小指の関節が晴れて痛い...曲げると激痛が来てグリップ出来ない。
薬指と中指も関節が痛いので曲げるのが厳しい...しばらく予定は無いけど、芝が生え揃うまではファットシャフトカーボンで誤摩化すしかないかなあ。

それでもスコア的には、アウトが50、インが46という事で、あのハプニングがあってバックティーからパーシモンに糸巻きでこんな風にラウンド出来た事に自分で驚いている。

また、さすが変態同好会ということで、ホールが長くても2アイアンや1番アイアンでティーショットを平気で打ち、4Wや5W、中には6番のパーシモンウッドなんてモノまでティーショットで使いまくる実に楽しいラウンドだった。
自分のコースという事もあり、結構速く硬いグリーンにも関わらず「乗せずに寄せでパーをとる」ゴルフを楽しむセベケン氏は「ゴルフ昭和化計画」会長の面目躍如と行った所だろう...パットが弱点だったけど(笑)。
O氏のように普段からずっとパーシモンを使い続けるなんてゴルファーは、一体今の日本に何人いるだろう...最初こそ調子が出なかったけど、慣れてくると見事に昭和のゴルファーを再現させてくれて楽しいゴルフをしていた。

我々3人がティーショットの度に「バシュッ!」「ボシュッ!」という音をさせているので、後ろの4人組は不気味に思えたらしくずっと我々の組に近づいて来なかったのが笑えた。

反省...本当にこんなにパーシモンに糸巻きボールが気持ち良いだけではなく、距離の長いコースにも通用するという事は思っていなかった。
何回か打てば糸ゴムが切れてしまうはずの糸巻きボールも、ラウンド通して変な飛び方も急に飛ばなくなったりもしなかった。
これなら、今年はパーシモンに糸巻きボールラウンドをもっとやってみよう。
うん、面白いラウンドだった!

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スタンスをとってしまったら...

Bu140519「スタンスをとってしまったらすべてが決定したのだ。 あとはやる事は一つだけ「ただ打つだけ!」だ。」...レズリー・ショーン。
レズリー・ショーンは1920年代に活躍した著名なゴルフ評論家。
ピリッとした風刺の効いた言葉を多く残している。

で、この言葉の意味と言うのは・・・・要するに「構えたら早く打てよ!」ということ。
最近コースでスタンスをとったまま、モゾモゾ動いてなかなかスイングを始めない(始められない?)人を、また多く見かけるようになった。
グリップをいろいろと握り変えたり、上下左右に忙しくクラブヘッドを動かしたり、背中を丸めたり伸ばしたり、あるいは首を亀のように伸ばしたり引っ込めたり...いつまでそれをやり続けるんだ?なんて気になる様な人をあちこちで見かける。
まあ、そんな人は九分九厘酷いミスショットで終わるんだけど、たまに上手く打っちゃう人がいるからたまらない。
上手くいったもんだからそれで間違いないと思い込んで、ますます打つまでに時間がかかる。
...上手く打てたのは偶々の偶然なんだから次からはミスが殆どなんだけど、自分じゃおかしくないと思っているから打ち終わったあとまでモタモタとティーグランドの上で他の人の邪魔をする。

以前のゴルフブームの時には、構えたままピクリとも動かなくなって,,,それがあまりに長いものだから見ている人が心配になって顔を見に行こうとした途端、いきなり全速全力ショットをぶちかます人が結構いた。
これはバックスイングの方がダウンより速い様なスイングになる事が多く、殆どが目も当てられない様なミスショットになる。
こんな人はアドレスのまま死んだように動かなくなる事から、「地蔵さん」とか「ゾンビ」とか陰で言われていた...一緒にまわっている人はたまったもんじゃないから、月例なんかでは一緒の組になりたくないと嫌われていた(何故か本人だけがそれが判っていないのだが)。

今はジッと止まってしまうんじゃなくて、いつまでもモゾモゾしている人が多いというのは何か理由があるのかも知れない(プロの影響かレッスン書の影響か...)。

しかし、この「アドレスに入ってから時間がかかる」というのは良い事は一つもない...ミスが増えるし、他のゴルファーからは嫌われるし、何より美しくない(むしろ気持ち悪い)。

ここは以前書いた「7秒ルール」をもう一度思い返すべきだ。
7秒ルールとは「ティーアッップしたあと7秒以内に打つ」という事。
これには科学的な理由がある。
人は何かをしようと決めた時に、7秒間はその事に集中出来るが7秒を越えてしまうと「不安」や「疑問」や「迷い」や「恐怖」や「失敗の記憶」などがどんどん頭の中で生まれてくる。
それは時間が経つ程大きく強くなって、人をその頭に湧き出て来た様な失敗に誘い込む。
それは「失敗願望」とかいわれるもので、失敗すると「ああ、やっぱり」とむしろ安心してしまう様な心理になる。
「失敗」したいのではなく「成功」したいのなら、心を決めてから7秒以内にスイングを始めると決めておく...そうすると、悪いイメージで一杯になってからスイングを始めるよりもずっと失敗は少なくなるはずだ。

ただし、7秒ルールを守っても、実力以上に良いショットを打てるようになる訳ではないからお間違いの無いように。

こうした「遅い」ゴルファーは自分が「遅い」とは思っていないものだが、7秒という時間を決めると必ず「そんなに早く打てない」と言う。
...もしあなたが「7秒では早すぎる」と感じたなら、あなたは他のゴルファーから「遅いゴルファー」だと思われている確率が高い。

こういうゴルファーはたとえ上手くても、スコアは悪いがプレーの速いゴルファーよりもずっと敬遠されてしまうからご注意を。

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2014年5月の旅ゴルフ・新西山荘カントリー倶楽部

Bu1405171_3Bu1405172_2    今じゃ余程近くのゴルフ場でプレーするんでもない限り、「ゴルフに行く」と言う事イコール「前夜道の駅などで車中泊&一人宴会」になってしまった今日この頃、片道150キロくらいからのゴルフ行を「旅ゴルフ」とする。

他にも行った事の無い良いコースは沢山あるんだけど、「広くて奇麗でチャレンジャブルで気持ち良くて安いコース」なんてのを探していると、うちの奥さんが「新西山荘は気持ちが良かった」なんて言う。
以前2回行った事のあるコースだが、確かにトリッキーさは無く、バックからやれて、グリーンはそこそこ速く、なにより17番の浮き島グリーンでは今まで一回も乗った事が無い...それにあの木の少ないコースは暑くなると日陰が無いので、まわるなら今の季節しかない...と言う事で、7時39分のトップスタートで予約。

旅ゴルフのもう一つの楽しみである行き帰りの寄り道ドライブでは、「真っ暗闇の中を走る真岡鉄道」をまず楽しむ。
これは、以前偶然見かけた時に慌てて車を止めて飛び出して見ていたくらい感動した風景。
夜10時頃、真岡鉄道の市塙と笹原田の間で、真っ暗で電気一つない闇の中を真岡鉄道の一両編成の電車が明るい光をまとって走ってくる。
まるで地上ではなく、夢の中の空間を果てしない時間の彼方まで移動して行くように...真っ暗な空間に一両分の窓の光だけが浮かび上がり「ゴットン.ゴットン」と単調な音を立てて...それは実に幻想的な眺めだった。
時間は判っていたのでその時間に車を道端に止めて待っていると、やって来た。
今の季節は田んぼに水が入り、田植えが終わったばかりで...一両分の窓の光が水面に反射して、前よりもっと幻想的な光景となった...おまけにゴットンゴットンの音と同じくらいの蛙の声の大合唱。
写真は上手く撮れなかったが想像して欲しい..

夜は道の駅「かつら」で前夜祭。
ここは那珂川のほとりで、いつも静かな河原の方に車を止めて一人宴会してから寝る。

翌日は晴れだが朝のうちは霧が深かった。
7時39分のスタートだったが、同じく早めに来ていた後ろの3人組が「早く出ましょうよ」というので7時過ぎにスタート。
1番535yパー5...フルバックティーの許可を貰ってスタートしたが、あのSLDRがいきなりチーピン(勿論朝早いので練習もやっていなかったが)で、1・5メートルをカップにけられてボギースタート。
2番399yパー4...3wでスライス、5アイアンでフックでピン上2メートルで外してパー。
そして、奥さんに言っておいた3番161yパー3....なんと殆どツツジが咲いてない!
コースに行くまでの道すがらではきれいに咲いていたのに。
何やらコース事情があるんだろうなあ...所々で「荒れ」を感じる...
3メートルをバーディー狙いで3パット。
4番403yパー4,,,1wのなんかつまんない当たりで残り120y...パー。
5番417yパー4...1wがチーピン(なんで?)、出してバンカー、3パットのダボ。
6番457yパー4...1wスライス狙いだと普通に飛ぶ...5番でフック・アプローチ1ピン外してボギー。
7番202yパー3...4アイアンでフック・右に外してアプローチ1ピン下り・3パットダボ。
8番395yパー4...1wチーピン・4アイアンフックグリーン右・アプローチ1ピン.3パットダボ。
9番533ヤードパー5...1wチーピン・3アイアンフック(ハーフトップ)・ピッチング大ダフリ・サンド1メートル・外してボギー。

9時前に上がってしまったけれど、9時38分なら入れると言うので大急ぎで昼食(10時前に!(笑))をとってインスタート。
10番539ヤードパー3...1wスライス狙いでまあまあ・3wフックかかり過ぎ・サンドで1ピン上.バーディー狙いで3パットボギー。
11番385yパー4...3wスライス・8アイアンフック・2メートルを3パットボギー。
12番158yパー3...8番アイアンフックでピン左3メートル・外してパー。
13番392yパー4...1wスライスまあまあ・ピッチングでフック・10メートルを3パットボギー。
14番434yパー4...1wスライスまあまあ・5アイアンフック・2パットパー。
15番448yパー4...1wチーピン左OB、打ち直しもチーピン、7アイアンフックでダフリ・サンドで乗せて3パットの8。
16番417yパー4...1wスライスまあまあ、7アイアンフックピン右3メートル.2パットパー。
問題の17番179yパー3...インに入ってから風がだんだん強くなり、この17番では左からのかなり強いアゲンスト...スライスではどのくらい風に負けるか判らないので、まずは5番でグリーンの中心からフックをかけて風とケンカさせて乗せる,,,179ヤードはセンターまでの距離なので手前には乗るだろうと計算・・・失敗!・グリン中央からフックがかかったまま左の池に。
では、と今度は4番アイアンでグリーンを外してグリーン右の池から強くフックをかける・上手くかかったが...風が曲げを止めてくれずに、フックボールはグリーンを横切って左の池に...フックでケンカさせるつもりだったけど、風に勝っちゃあダメだろ...ここで後続組が来たので、諦めて前進ティーに、で7。
・・・はい、17番ホールこれで3連敗です。
18番550ヤードパー5...1wスライスああまあ・4番アイアンフックまあまあ・強いアゲンストで7番アイアンパンチショット大ダフリ・サンドで1メートルでパー。

何より17番のグリーンに乗せられなかったのが口惜しい...フックは上手くかかったんだけど。
1wは裏を見るとフェード側におもりが移動してあったので、それでフックが失敗続きだったのかも知れない・・・ああいう調整出来るドライバーは、一度調整したらラウンド中は球筋を一定に決めて使うものなんだと思う。
あのドライバーでフックやスライスを打ち分けるのは、機能的に難しいのかも。

うちの奥さんは良い天気とプレッシャーがあまりかからないホールレイアウトが気に入ったらしく、のびのびと楽しんでいたようだ...部分部分だが、ドライバーも、フェアウェイウッドも、アイアンも、アプローチもパットも、良いショットを打っていた。
これらが一ホールでのショットで続いて出ていればスコアは圧倒的に良くなるんだが...残念ながら1ホールに付きいずれか一個ずつと言う所が惜しい。

インは待ち待ちだったけど、それでも1時にはコースを後にして帰りのドライブ...しかし、期待していた山藤は一つも見る事が出来なかった。
つい先日行った霞ヶ浦の近辺では沢山の藤を見る事が出来たのに...
季節が違ったのか、それともあの辺には藤は無いのか少ないのか...すごく残念。
後は寄り道しながらもラッシュ時間の前には家に帰り着き、ゆっくりする事が出来た。
早朝スタートも、昼の待ち時間が何とかなるならこれからはいいと思う(スルーならそれもいい)。

ただ、昼に生ビールで一杯も...非常に・非常に・捨て難いんだけどね。

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風薫る五月

Bu1405155月ももう半ばになる。
一年で一番気持ちが良い季節...陽射しにはもう暑ささえ感じるが、吹く風は気持ちが良い。
山々は瑞々しい若葉で覆われ、空の青さには夏の様な強さよりスッキリとした透明感を感じる。

芝はまだボールを乗せられる程の密度は無いので、見た目と違ってショットは楽ではない。
しかし、今こそが一年で一番のゴルフシーズンと言う事に異論は無いだろう。
白いボールを追って野山を歩く事が気持ち良い。
スコアカードに目を落としてばかりいないで、顔を上げれば何もかもが生きている事を謳歌している様な自然が周りにある。

もう少しすれば雨の多い季節になり、それが終わると猛暑の夏になる。
そうなるとまた自分のゴルフはお休みになるから、その雨の季節までは時間的にも経済的にも肉体的にも多少の無理をしてでも楽しもうと思っている。

と、言う事で急に明日旅ゴルフに行く。
所は新・西山荘。
以前パーゴルフの取材で行って以来、その馬鹿げたスケールのクラブハウスとピート・ダイが「広い場所」に造ったコースのレイアウトが気に入っている。
特に今の季節はアウト3番のパー3がツツジの花に囲まれていた記憶がある。
うちの奥さんには、そのパー3のツツジを景色としてプレゼントするつもりで、アウトのトプスタート。
最近ネットでの評判が良くないが、何年振りかの新・西山荘...ゆっくりと楽しみたい。

もう一つ、今は行き帰りの山道での野生の藤が美しい。
桜の季節には、「こんなに沢山あったのか!」と驚く様な関東低山の山桜を楽しめたが、今の季節は山の藤。
これもまた、「こんな所にもあったのか!」と驚くくらいあちこちに、青く鮮やかに咲いている。
藤も山桜も一年の殆どの季節、山の緑の中に埋没して全く姿が判らないのに、花の咲く時だけ華やかに鮮やかにその存在を主張する。
山桜は気分を華やかに明るくするが、山の藤の花は気持ちを穏やかに落ち着かせて好ましい。
トップスタートで早くラウンドが終わるはずなので、行き帰りは下道で山の美しさを味わいながらのんびりとドライブして帰る。
天気は良いし、楽しめるはず。

勿論、ひん曲げゴルフは継続中。

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記憶の彼方に...2

Bu140514

「今度勝負しよう」
そんな口約束が果たされずに終わってしまった事が何度もある。
いつかそのうちに出来るさ、と思っていたのに不意に永遠に出来なくなってしまう...「ああ、やっておけば良かった」なんて悔いはひどく辛い。

Yさんと言う人がいた。
ゴルフイラストを描き始めてから、その人の悪い噂を何度も聞いた。
詳しくは聞いていなかったが、その媒体から追放になる様な事をしでかした人だと。
ゴルフはうまかった...恐らく業界でもトップクラスの実力で、ある程度有名なコースのクラチャンをいつも争っているとも聞いていた。

初めて会ったのは某ゴルフ雑誌社の編集部コンペ。
前の組でまわっていて、そのゴルフをじっくり見る事が出来た...小柄ながらよく筋肉のついた締まった身体をしていて、ヘッドスピードの速い豪快なスイングだった。
ドライバーも飛ぶしアイアンもキレがあるショットを打つ、評判通りの名手だった。
...常に前の組のオナーだった。

そのY氏が、ラウンド中に何度も後ろの我々の組を見ている。
特に私が打つ時はいつもこっちを見ている。
当時は私はゴルフを始めて2〜3年ながらオフィシャルハンデはシングルとなり、(読者代表として)取材のモデルを良くやらされて、プロとの飛ばしっこで勝ったとか、ヘッドスピードがドラコンの人より速かったとか、パーシモンでニューボールの試打をやったら270ヤードの練習場のネットを越えてしまうので取材中止になったとか...イラストレーターにバケモンの様な奴がいる、と業界で噂になっていたらしい。
それで、Yさんもどんなもんかと私を見ていたんだと後で聞いた。
特に180ヤードくらいのパー3でピンにくっつけた時には、大きな声で「ナイスショットだー!」と叫んでくれた。

そのコンペの後、出版社で会う度に「今度ゴルフの勝負しようよ」、とか「近いうちに一緒にまわろうよ」とか声をかけてくれるようになった。
しかし、私も月例に出たり仕事のラウンドがあったりで結構忙しく、Yさんと一緒にまわる機会はなかなかつくれなかった。

そしてある大きな出版社コンペで、またYさんを見かけた。
今度はスタート時間も離れていて、ラウンド中に彼を見かける事はなかった。
が、彼はどこからか私のプレーを見ていたらしい...「相変わらず飛ばしているね」なんて昼に声をかけられた。
...その後はしばらく会う事も無かったけれど、ある日また〆切の原稿を持って行った出版社ですれ違った。
挨拶代わりにYさんは「今度こそ近いうちに勝負しようよ」と声をかけて来た。
「是非よろしくお願いします」と答えてすれ違った後、急に立ち止まってYさんが声をかけて来た。

「あのさ、一つだけ僕の言う事を聞いてくれる」
「キミはいつも全然素振りしないで打つけど、頼むから1回素振りしてから打ってみてくれない?」
「そうしたら、キミのスコアはずっと安定するから」
「じゃあ!」

その言葉が最後だった。

しばらく時間が経った後、打ち合わせをしている再中に編集者が「そういえば、キミはYさんを知っていたっけ?」と聞いて来た。
「顔は知っていますが、個人的な付き合いはまだありません。」
「Yさん、少し前に亡くなったんだって」
「え? なんで? あんなに元気だったのに」
「彼は今一人暮らしだったらしいんだけど、シャワーを浴びている時に倒れてそのままだって...」

「一人暮らしじゃなかったら、誰か気がついたかも知れないんだけど、大分時間が経ってから判ったらしい」
「色々あった人だったみたいだからなあ...」

「打つ前に、1回だけ素振りをしてみろ」
それがYさんの遺言になってしまった。
確かに自分は素振りをしない...そういうリズムになれてしまったからそれが普通なんだけど、彼の言葉はそれからずっと頭に残る。
つい忘れてしまうけれど、言われたように1回素振りを入れると、確かにショットのトッチラカリは落ち着く...

「今度勝負しようよ」
「1回だけ素振りしてみてよ」
そんな言葉が記憶の彼方から、今の時代の私に生き続けている。

勝負したかったなあ。

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運命の出会い

Bu140513_2まあ、大げさなんだけど。

日曜日のN氏のSLDRドライバーを打った時の感想だ。
これは純粋な飛距離の問題ではなく、「自分がああいう風に振った時にはこういう風な球になって欲しい」というぼんやりとした感覚にぴったりあったショットだったから。
最近はそういう風になったボールは一球も無かった。
何年間イメージに合わないと思いながらドライバーを振り続けて来た事だろう。
確信しているのは、そういう球が打てたのはあの一本のSLDRドライバーだったから...全く同じスペックのSLDRを買って来て打ってみても、絶対にああならないと思う。

これまで30年くらいのゴルフの仕事の間に、そういう事を何度も見て来た。
現代のゴルフ用品用具関係の常識では、クラブと言うものは使う人のデータを徹底的に取って、本人の希望する球筋になる様なスペックのものを選べば、それぞれのゴルファーにベストのドライバーを選ぶ事が出来ると言われている。
確かに、昔の「あのプロが使っているから」「ライバルが使っているから」なんて動機でドライバーを選んでいた時代に比べると、今はそれぞれに無理の無い間違いの無いドライバーを選ぶ事は出来る。
だから、「全く合わない」なんて事もなく安心して新品の高額なドライバーを買う事が出来るようにはなったけど...
それと自分にとって最高のドライバーに出会うってことは関係がない、と言うのが自分の感想だ。

こんな話がいくつもある。
あるゴルフ雑誌の編集長が当時大人気だったドライバーのメーカーに取材に行って、取材後に彼に合っているというドライバーを一本贈呈された。
そのドライバーを使ってみると、彼の飛距離はその前より50ヤード以上飛ぶようになった。
一緒にまわるといつも50ヤード以上後ろにいたのに、そのドライバーを使い出してからは殆ど同じ所まで飛んでくる。
彼の体格やヘッドスピードから言ってそれは信じられない事だったが、本人は「これは実に気持ち良く振れるんだ」。
しかし、ずっとそのドライバーを使い続けているうちにヘッドが割れてしまった。
そこで彼は中古ゴルフショップに行き、全く同じスペックのドライバーを手に入れて来て使ってみた...結果は50ヤードくらい飛ばない。
おかしいと思って同じスペックのものを何本も買い替えてみたが、どれも結果は同じだった。
(この例は、彼に送られたものが本当に「特別製」だったからかも、とも言えるけど)

もう一つは、今や飛ばし屋仲間でナンバー1に君臨しているM氏の話。
その体格や背筋力やセンスから「飛ばす」という評判は聞いていたけど、N氏とも一緒にまわり始めた頃は私やN氏のカモであった。
M氏は用品用具関係でゴルフ業界と関係している為に、データを採ってとっかえひっかえクラブを作ったり組み上げたりしていたが、曲がりが酷く、当たっても我々より飛ぶ球は出ずにいつも悩んでいた。
それが数年前のある日、当時私が使っていたミズノのMP425、白マナ73X、8・5度のドライバーを、本人は嫌がっているのに無理に打たせてみた。
その嫌々振った一発は、変な風にぐらぐら揺れながら飛んで行き、それまでいつも20〜30ヤード置いて行かれたN氏のボールをキャリーで超えていった!
打った本人も見ていた我々も「え? ウソだろ?」...変な飛び方で、決して勢いああるようには見えないボールなのに、いつまでも落ちて来ない。
その後は、もうM氏はそのドライバーを絶対に手放さず、結局そのままドライバー交換となった(私にはちょっとチーピンが多いドライバーだった)。
彼はしばらくそのドライバーを本当に抱いて寝たらしいが...他のどんなドライバーを振ってもそのドライバーで打った様な球は出ないのでちょっと不安になり、ヘッドもシャフトも全く同じ奴を何本も作ったという。
しかし、その新しく作ったドライバーの数値をいくら同じように合わせても、決して同じように気持ち良く飛ぶドライバーは出来なかったそうだ。
彼の所には精密にデータを取れる機器はあるんだけど、どんなにデータを同じようにしても振り心地や飛びは同じにならない..その為に、彼のドライバーには今でも私が貼付けた鉛などが一切手をくわえられずについている(笑)。

・・・思うのだが、人間があんな不自然な道具を振り回す時には、どんな機器で計った細かいデータでも採れない複雑な動きをするんじゃないか...それに気持ちが加わるから、ますますその動きは精妙かつ複雑になり、そこで「気持ち良く」振れて一番その人のパワーを伝える動き・軌道をピッタリ走る様なドライバーに出会う事は本当に奇跡なんじゃないか?
それを使うと、自分の一番いい動きが自然に出来て、無理無く振られた道具は最高のパフォーマンスを見せる...沢山いるゴルファー達にそれぞれそんな奇跡の一本がどこかにあるんじゃないか。
それはデータでもなく流行でもなく、値段もメーカーも関係なく、ただ自分が気持ち良く振れるだけ。

私は日曜日の最終ホール、無駄な力も入れずに本当に気持ち良く振り切れた...この感覚は数年振りだったかも知れない。
あのSLDRが、これからいつも同じ様なパフォーマンスを見せてくれるとは思わない...力を入れすぎれば曲がるだろうし、気を抜けばミスをするだろう...しかし、数年振りに振れた快感がきっと良い結果を沢山出現させてくれると思う。

...もし、N氏がやっぱり交換やめた、と言って来たら、ジープに言って新品の同じスペックを買って来て彼に渡す。
この一本は、私の為にここにやって来た一本だと思うから(笑)。

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春の珍事か...?

Bu140512_2

昨日は飛ばし屋達とセントラルゴルフコースNEWコースに行って来た。
天気は最高、コースもトム・ワトソン設計でトリッキーさは全く無く、グリーンの状態も良く、予想していたよりずっといいコースだった。
ハウスの作りなどを見ても女性の人気があるだろう事は判る。

メンバーはN氏とM氏の300ヤードヒッターコンビに、N氏と同じ編集部のS氏。
このS氏とN氏...小柄ながらその腕の太さと上半身の筋肉の発達程度が半端ではなく、鳥かごの練習場で二人が練習している姿を離れた練習グリーンからM氏と二人で見ていて、「同じ人間とは思えない..」...他に練習している華奢な体型のゴルファー達の肩幅の2倍くらい大きい。
ただゴルフを始めて間もないS氏は、まだその有り余るパワーを全くボールに使う事が出来ていない。

この日のティーは白...それでなくても短いこのコースで白ティーでは、ドライバーを振り回す事が出来ないホールが多く、「飛ばしっこ」はお休みとしてそれぞれのドライバーを打ち比べてみたりアイアンを打比べてみたり。
N氏は新しくSLDRのドライバーを仕入れて来たがどうも上手く合わない様子。
私のMP425白マナXを使った方がずっと良い球が出る。
私は自分のMP425で打つと、チーピンではないものの左一直線が多く、OBが何発か。
そこでN氏とドライバーを交換する事にする。
私がSLDRを打ってみると、始めは力の入れ過ぎでテンプラが多かったが、普通にスイングするといい球が出だした。
...なにより、左巻きにはならない。

で、春の珍事と言うのが最終ホール。
380Yのホールだが、最後だと言うのでそれぞれ振り切ってみる...飛ばしっこだ。
ホールは平らで風はあまりない状態(フォローではなかった)。
私はN氏と交換したSLDR...午前中これを9度にしていたN氏が打っていて、どうも球が上がらない様子なので昼に10・5度に変更していた。
シャフトはアメリカ仕様のノーマルのS。
気持ち良く振り切る事だけ考えてスイング...いい手応えといい弾道...10・5度なのに自分として9度の弾道くらいな感じ。
続いてN氏が私のだったMPでフルショット...ちょっと上がり過ぎたが手応えは悪くなかったらしい。
続いてM氏がフルショット...ちょっと右に飛んで池にかかりそう...手応えは悪く無かったらしいが。

で、ボールのところに行ってみると...
何と残り80ヤードを切る場所に私のボール、N氏のボールは10ヤードくらい手前。
M氏のボールは右側に無く、池に入った様子。

私「...また君たちに勝てる日が来るとは思わなかったなあ...」
N氏「大叩き男さんの時代は終わったと持っていたのに...また負ける日が来るとは夢にも思わなかった」
M氏「.....(無言)」
S氏「うちのオヤジと同じくらいの年の人が僕より100ヤードも飛ぶなんて...」
「この組って、バケモンばっかりだ...」

ハハハ...勿論まぐれの大当たりだってことは知っているけどさ、2年以上前から彼等に勝つ事が無くなってた身には、「まだオレの時代は終わってなかったぞ!」って吠えたい気分さ(笑)。

なんだろうね、これって。
SLDRを使った誰もが飛ぶ訳じゃないってのは常識...ただ、自分にはこのクラブの全体重量の重さと、評判のロフトが偶然ピッタリはまったんだろう。
このクラブを使っていたN氏には、これが特別飛ぶクラブじゃなかったしM氏は「それは左右に曲がる」と言っていたし。
「どのクラブが自分に合うか」と言うのは、数値なんかじゃ判らない...本当にこうした偶然の出会いで変わってしまう事ってある...と言う事は誰にもそうしたオレの為だけの道具ってのがあるのかも知れないな...つまり、誰にでも道具との出会いで劇的に生まれ変わる可能性があるってことだ。
これって、凄く希望が広がる事じゃない?
...まあこれでオレはまた、彼等との飛ばし勝負が楽しみになったのはありがたい。

「曲げるゴルフ」は上手く行かなかった。
曲がりが少なくなってしまっている...フックは右から曲がり切らず、スライスは左から戻り切らず。
さらに無理に曲げに行くと、フックはダフり、スライスはトップのミスが多発する。
これは練習をして調整する必要がある...身体が曲がりを勝手に調節しようとしているみたいだ。

今は、近いうちにどこかでラウンドした気持ちが一杯だ(笑)。
春だなあ...

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明日、「飛ばしっこしよう」だと?

Bu140510

急に、明日のゴルフが決まった。

若い編集の飛ばし屋N氏が「M氏も一緒ですから化け者会の飛ばしっこをしましょう」だって。
このN氏は、300ヤードちょっとならワンオン普通の飛ばし屋、そしてM氏は私のあげたドライバーで目覚めてしまった背筋300キロ軽く越える元ボートマン。
どちらも320〜30ヤードのホールではグリーンに打ち込んでしまう事度々と言うのが最近の評判。

そりゃあね、オレだって20年前ならプロとまわっても殆ど負けた事ない飛ばし自慢だったさ...でも、今いくつだと思ってるんだ?
普通なら隠居ジジイとなってる年だぜ...自分じゃあまだ若い頃と気持ちは同じなんだけどね。

マッケンジー体操が効いている為か、最近はどうしようも無い強い腰の痛みに悩まされる事が無くなったけど、常に腰が痛いのは変わらない。
もう、以前のように「思い切り」ぶん回す事は出来ないんだ。
その腰の痛みの所為か、飛ばそうと思うとチーピンになるし。

明日は天気は良いし、曲げるゴルフは楽しめる。
ティーショットでこの化け物達に勝とうなんて気を起こさなければ、曲げるゴルフもかなり自分のものになっているはず。
...なんてなあ...

奴らを見れば、また年甲斐も無く「オンドリャ〜!!」なんて振り回すんだろね...
どうしても男って奴は物心ついた時から飛ばしっこが大好きで、負けたくないのが本能らしい。
三つ子の魂百までも、ジジイの妄執果てしなく、「悟り」だなんて何の事?
やらずに負けるなんざとんでもない...てか。
....明日は、クローズドスタンスの引っかけギャンブルフックしか勝ち目はないだろなあ,,,

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記憶の彼方に

Bu140507_2少し前に廃業したゴルフ場が増えている事を書いた。
開場する時には華やかなセレモニーでスタートしたゴルフ場も、廃業する時には本当に静かに「いつの間にか」という感じで消えて行く。

その廃業したゴルフコースの中に田人カントリークラブと言うコースがある。
このコースは茨城県と言っても殆ど福島に近く、特にどこが素晴らしいと言う評価も聞かず、とうとう行く機会も無いうちに廃業してしまったコース...そんなコースがどうして記憶に残っているかと言えば、まだゴルフを初めて間もない頃に聞いたエピソードが忘れられないからだ。

30半ばで、ゴルフ雑誌の仕事を受けたために嫌々始めたゴルフも、始めて見ればこんなに面白いものは無いと熱中した...3年もしないうちにオフィシャルハンデもシングルになって、編集部のコンペではパープレー前後でまわれるようになって、週刊の関係者では一番上手いと言われ出していた。
そのゴルフの仕事は、以前広告代理店で知り合った人が週刊のゴルフ雑誌の編集部にいた為に紹介されて貰った仕事で、毎週毎週いくつもの仕事を頼まれて、時には編集部にカン詰めになって描いたりもしていた。
その出版社は週刊誌の他に月刊誌や季刊誌も出していた。
同じ出版社でありながら、週刊と月刊ではライバル関係みたいなものがあり、自分は週刊誌で毎週数多くのイラストを描いていたのに月刊誌では殆ど仕事はしていなかった。
その当時の月刊誌の編集長がMさんで、大学時代からゴルフをやっていたとかで多分この出版社で一番うまいと言われていた。

少し経って月刊誌でも何度かはカットの仕事を受けたが、殆ど仕事をしてないのでMさんとは会っても挨拶をするくらいで個人的な話はした事が無かった...が、自分にゴルフが上手いという評判が立つと、すれ違う時に「今度ゴルフ一緒にしようよ」なんて声をかけられる事が多くなった。
自分も一度勝負したいなんて気持ちを持ち出した時に...Mさんが急死した。
体調を崩してから1週間くらいであっという間に...まだ40代で元気一杯に見えたMさんの死はショックだった。

個人的な付き合いが無かったので、以下は他人から聞いた伝聞なので正確なものかどうか判らないが、自分の記憶に残る話として描こうと思う。

彼は田人カントリー倶楽部のメンバーだった。
なぜ彼がそこのメンバーになったかは知らないが、そのコースでも有力なゴルファーでクラチャンを狙う程の本格的なトップアマであった、と。
聞いたのはクラチャンのマッチプレーの決勝戦、まれに見る白熱した勝負だったという。
残念ながら天気が悪く、雨中の決戦となったマッチプレーはエキストラホールにまで突入したらしい。
そのまる一日をかけた熱闘の果て、Mさんは惜しくも敗退した。
そして、家に帰宅した時にはすっかり疲れ果ててそのまま寝込んでしまったという。
疲れの為か雨の中で体調を壊した為か、Mさんは寝込んだまま体調が回復出来ずに衰弱してしまったらしい。
そして誰もが驚く程あっけなく、元気だったMさんは亡くなってしまった、と。
直接的には、何が原因だったのかは聞いてもよくわからなかった。
ただ噂で聞くしかなかった自分には、彼がそのマッチプレーで命を削る程の勝負をしていたんだな..なんて勝手に想像していた。

行っておけば良かった、と今更ながら思う。
...田人カントリークラブとはどんなコースだったんだろう。
もう少し時間があったら、Mさんとそこで勝負のゴルフが出来たかも知れないのに。
今となっては、彼のゴルフがどんなものだったか、彼はあのコースでどんなゴルフ人生を過ごしたのか...全て人づての噂話でしか知らない事ばかり。

「今度勝負しよう」...自分がゴルフを夢中でやっていた頃、色々な人にそう言われた。
そう言われたまま終わってしまった話...もう二度とそういう機会が無くなった人の話がいくつもあるのが、今は残念でしょうがない。

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連休が終わったら

Bu140505春の気候の中、ゴルフを楽しみたいと思っている。
一年で今が一番緑の美しい、気持ちの良い季節だろう。
山桜は終わってしまったが、今はフジが咲き誇り、木陰でツツジが咲き乱れる。
芝はまだ完全に生えていないからライは良くはないけど、「ゴルフを遊ぶ」には問題ない。

右腰の痛みは大分消えて来た。
イラストを描くなんて仕事は、毎日殆どの時間をパソコンの前に座りっ放しなんだから、いきなりゴルフ場に行って思い切りクラブを振り回したりすればどこかが痛むのはしょうがない。
気持ちはゴルフを始めた30代半ばと変わっちゃいなくても、身体はもう十分すぎる程の中古品になっちまっているんだし。

今回の右腰の痛みは、自分の飛ばそうとする欲の為だと言う事はわかっている。
曲げる為のセットアップをしているんだから、そのままスイングすればいいものを(実際アイアンはそうやって、それなりに曲がっている)、ドライバーでフックを打つ時に限って右腰を入れて必要以上にインからクラブを振りに行ってしまう...これはドライバーでフックを打とうとするとイコール「飛ばしたい」になってしまうから。
ドライバーでスライスを打とうとする時は主に正確性を要求されるケースなんだけど、フックを打とうとする場合は距離が欲しい場合が多い(特に今回のように飛ばし屋が一緒の時には)...なので必要以上のオーバードゥとなり、ドチーピンのお笑いショットとなってしまう...それでおまけに腰を痛めたのでは、ホント馬鹿みたい。
ドライバーを左に行き難い奴にするか曲げやすい奴にするか...もう少し試行錯誤が必要だ。

それに、まだ全てのショットで曲げる時に「曲げよう」と意識し過ぎている。
もっと自然に「ここは右」「ここは左」に「曲げるのが当たり前」、とリラックスしてセットアップに入れるようにしたい。
今はまだ一打一打強く意識してセットアップしているので、後半ちょっと面倒になって疲れてしまう。

それでも、これからのラウンド全て「曲げる」事を基本に楽しもうとする事に変わりはない。
連休が明けたら、天気を見計らって平日に面白そうなコースを楽しみに行くつもり。
5ラウンドもすれば、この変態ひん曲げゴルフこそが「俺のゴルフ」と言えるようになるだろう。
楽しみだ。

さあ、今日も歩いて腰を解しておこう。

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ゴルフ場の閉鎖

Bu140501_2今、静かにゴルフ場が閉鎖され続けているのを皆さんはご存知だろうか?

以前プレーした事がある、プレーしたいと思っていた、会話の中によく出て来た、なんて言うゴルフ場が「廃業」している。
「廃業」と言うのは、もう二度とそのコースでゴルフをする事が出来なくなる、と言う事。


関東近辺の例だけど、ちょっとネットで見ただけでも
23年には
いわきゴルフ倶楽部
田人カントリークラブ


24年には
ヴィレッジ那須ゴルフクラブ
ガーデンバレーカントリークラブ
ラフォーレ白河ゴルフクラブ
サンライズカントリークラブ

25年には
新セントフィールズゴルフクラブ
新里見カントリークラブ
スパ袋田ゴルフクラブ
SK白河ゴルフクラブ福島コース
黒磯カントリークラブ
新ユーアイゴルフクラブ
鬼怒川カントリークラブ9ホール

26年には
伊香保ゴルフクラブ清瀧城コース
かんなゴルフクラブ
JGMゴルフクラブ益子コース

他に榛名カントリークラブ、吾妻高原ゴルフクラブ高湯ゴルフ場...等々。

一時閉鎖が続いてるコースも多く、今後どのくらいのコースが廃業するのか見当がつかない。

茨城北部や福島のコースは、直接的にはあの原発事故の影響の風評被害で来場者が減った事が挙げられるが、総じてゴルフ場来場者の数が減って来ている事と、跡地の利用に「メガソーラー」の建設で利益が得られる可能性が高い事が廃業への後押しをしている。
この「メガソーラー事業」という奴は普通なら利益が見込め無いはずの事業だが、国の電力の高価買い取り援助政策のおかげで多額の利益が見込めるとかで非常にうさんくさい。
しかし、遠く集客力の弱いコースが赤字を続けるよりは、とこう言った事業に変わるのはやむを得ないとも思うが...時間が経った後、こういう場所が荒れ放題で放置され、ひどい災害や公害の元にならなければいいんだけど。

先に挙げたゴルフ場は、ゴルフの事業をやめて廃業するコースだけど、倒産して経営交代しているコースの数は恐ろしい数になる。
以前から言われていた事だけど、ゴルフコースの経営と言うのは人件費や整備費などの費用ばかりがかさんで決して儲かる商売ではない(儲かるのは紙切れを印刷するだけで1枚で数千万お金が入る会員権募集のとき...それは今ではもう使えない)。
それは我々がプレーする場合のプレー費を考えればわかるだろう。
近隣の名門コース、あるいは少数の人気コースを除いて平日のプレーフィーは1万円を超える所は少ない。
関東では東京から100キロくらいの所にゴルフコースが多いが、その辺りではどんないいいコースでも食事付きで1万円以下...朝から遊んで、結構贅沢な食事をして贅沢な風呂に入って、ほぼ一日楽しんで1万円以下...おまけに平日に、混んでしょうがないなんて事は滅多に無い。
客の数が少なければ収入は減り、グリーンが荒れたりバンカーの砂が無くなったり食事が粗末になったり...するとまた客が減って、の悪循環となり経営が悪化して倒産する。

そこで、徹底的に合理化し、進行最優先とし、セミパブリック化して、経営をまるでハンバーガーチェーン店のようにした、少数のパチンコ資金の大手ゴルフ場経営会社が買い占めて行く。

廃業してしまったコースにも、それぞれゴルフ人生をかけたゴルファー達のドラマがあっただろう。
上級者達にはクラチャンの名誉や理事長杯の名誉...クラブハウスに掲げられたメンバーボードや、栄誉の証拠のボードの数々...アベレージゴルファーにだって、思い出の尽きないホールや口惜しいホール、喜びのホールがあっただろう・・・あるいはホールインワンの植樹なんかもあったかも知れない。
コースの廃業と言うのは、そういう沢山のゴルファーのゴルフ人生がゴミのように捨てられてしまったことなのだ。
もうそこには入れないし、プレーする事は二度と出来ない。

...田人カントリークラブには、ここのクラチャンの決勝を戦い、熱闘の末に敗れた後、間もなく病で急死してしまった某ゴルフ雑誌のまだ若かった編集長の話が残る。

この話はいずれまた。

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