ゴルフな人々

2017年3月20日 (月)

で、次は何時?

Bu170320


「なに? 不整脈?」
「それは困る、酒飲みたいし、ゴルフもしなくちゃ」
と言っていたダッファさんが、
「私、脳から出血しました。」
で入院だと。

幸い三日でチューブも取れ、大した影響も残らずに退院準備中だそうだけど。
最近の話題はそんな事ばかり。
...そんな年になったんだなあ、ご同輩。

もっと若い仲間だって、あっちじゃ重度の肺炎、こっちじゃ酷いギックリ腰、あるいは酷い脂肪肝、あるいは動けない程の痛風だとか、目が見えねーよーの白内障、とか...
もう、会えば病気自慢の痛み自慢、みんな病気の博覧会にイテーイタイの大安売りだ。

そりゃー昔の若い頃、「カネーはねーけど、体だけは」の時代は、最後の拠り所は体力勝負の肉弾戦だったけど...怪我も病気もすぐに良くなった。
そんな時代はもうすっかり遠くなっちまったって訳だ。
理屈じゃ判ってるんだけど、頭ん中はあんな時代と大して変わっちゃいないから、ついつい無理してしまうんだよな。

心臓に脳に、肝臓に肺に、血圧に中性脂肪にコレステロールに血糖値、おまけに尿酸値
までまともな数値が少なくなれば、そりゃあ病気にもなるだろう。
でも、実はこっそりとカロリー制限始めてみたり、酒の量を減らしてみたり、むやみに歩いたり走ったり、気にしていたんだよな。

それでも結構大きな病気が表に出れば、このままじゃあイカンとかなり真面目に本気になって、生活改善に向かう気にはなるもんだ。


「で、今度は何時飲もう?」
「次のラウンドは何時にする?」

...真面目に治そうぜ、ご同輩。
今迄のままじゃダメだって、お互いに「ゴルフの女神さんに怒られた」って訳なんだから。
ここんところは、まずは「ゴルフが出来る体」に戻そう。


そして
「次は、何時にする?」

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2017年1月19日 (木)

84歳のパンチショット

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オープンコンペに一人で参加していると、実に様々な「他の場所では絶対に無い」出会いがあって面白い。

関東地方北部の、初めてラウンドするコースでのオープンコンペだった。
天気予報が気になって、ネットでエントリーしたのが二日前...幸い空きがあるとかで参加する事が出来たが、何とコンペのトップスタート。
いずれも一人参加の「直前申し込み」の人ばかり、とあとで知った。

朝、カートの前で挨拶すると私ともう一人が「このコース初めて」で、もう一人が「二度目です」。
そして、朝からコースの人と豪快にお喋りして笑っていたベテランゴルファーが「ここは私の庭の様なもんです」。

彼を除いた3人はいずれも60代で、そのベテランゴルファーは「ひょっとして70代ですか?」の質問に「ワッハッハッハ」...答えない。
スタートすると、みんな腕は見似た様なものとわかる。
Aさんは、このコースは初めてだけど年間50ラウンドはすると言う悠々自適のゴルファー...「いつも一緒に回る仲間が、このコースは意外と良いぞ」と言っていたんで、来てみました」
少し若いBさんはこのコースは二度目だが、「ずっと昔だったんで、全然コース覚えていません」と言う、新兵器ばかりで武装した熱中ゴルファー。

で、問題のこの人。
「俺ァ、70歳なんかずっと昔に過ぎちまったよ」なんてカンラカンラと高笑いして、ボールを引っ叩く。
「俺ァ、今年で84だよ!」
で、バッチーン。

年を聞いて絶句する3人に、「もう年だから、飛びやしねえよ」と言いながら、バッチーン!
確かに年の為に身体が硬くなっているようで、身体を奇麗に捩じれない...右にターン知れば身体ごと、インパクト以降は状態と一緒に右足も回ってしまうので、とてもフィニッシュの格好は良くない。
が、驚くべきはそのインパクトの強さ...実にいいタイミングで上から叩き込む。
そのインパクトの強さのわりに飛距離は出ないが。
ドライバーも上から叩き込むので、やはりインパクトの音はいいけれど..200ヤードにはとても届かない。
しかし、4番アイアンからウェッジ迄アイアンはいずれも奇麗にダウンブローで叩き込む...見事なパンチショットになっていて、インパクトの形は美しい。
ボールは年寄りじみた「ポ〜ン」と言う弾道ではなく、「バシュッ」と言う音で低くいい感じで出て行く...悲しいかな、パワーが足りずに途中で失速気味で伸びは無いが、「若い頃はさぞかし良い弾道で飛ばしていたんだろうな」と思わせる。

「すげえなあ」
「70代でゴルフやっている人は凄いと思ってたけど、なんだよこの人バケモンかよ」
「80越えて、アイアンでしっかりターフとって、インパクトであんないい音出せるなんて...」
「確かに飛ばないけど、フェアウェイ外さないぜ」
「もっと飛ばして、ドラコン本気でとるつもりみたい...!」
「俺は、あの年になった時にゴルフ楽しんでいられるかなあ」
「いや...俺は絶対に、あの年まで生きていないよ」


実際に目で見なければ信じられない現実だった。
あのレジェンドのプロゴルファー達だって、80を越えるといかにも「年寄り」のゴルフスイングになってしまうのをテレビで見ていた。
確かに身体が硬くなっている為に奇麗なフィニッシュにはならないけれど、あれだけ強く「ボールをヒット」している80代のゴルファーには初めて会った。
以前、やはりオープンコンペで一緒になって、私に「60代は俺に言わせりゃ、まだ若造だ!」と言った80歳越えの「柔道の先生ゴルファー」も、スイングはポーンポーンと当てるだけのゴルフだったし。

80歳を超えてのゴルフ....今の自分には想像もできない。
その年まで生きていると言うイメージも無いのに、その上ゴルフを一人でプレーしに来て、「全ショット・ボールをハードヒット」出来るなんて...

彼はラウンド中ずっと豪快に笑い、私の変態曲げショットに「いやあ、あんたは面白い!」と歓声を上げ、パーオンやパーパットを逃すと子供のように悔しがっていた。



スコアはともかく...60代3人はラウンド後、彼に深く最敬礼した。

そして、顔を見合わせて深くため息をついた。
「まいった...」

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2016年10月 7日 (金)

カーヌスティーの悲劇から17年   (2016年7月23日)

Bu160723全英シニアオープンを見ていたら、画面に忘れられない顔が飛び込んで来た。
頭は少し白髪も交じって後退し、腹は少し出て、顔には小じわが増えてはいるけど...

少し思い詰めた様な端正な顔...ジャン・バンデベルデが50歳になって、あの因縁のカーヌスティーでの全英シニアオープンに参加していた。
ジャン・バンデベルデとカーヌスティー...ゴルフの歴史に名を残す名ゴルファーは沢山居るけれど、敗れ去った事で長く人々の記憶に残り、語り継がれるゴルファーはそうはいないだろう。
あの年の全英オープンで勝ったP・ローリーは今もツアーで活躍して入るけれど、あの年の全英オープンが語られる時には、あの「カーヌスティーの悲劇」の主人公ジャン・バンデベルデの百分の一も語られやしない。
勝者はほぼ忘れ去られ、敗者が長く語り続けられる事なんて、ゴルフの歴史でそうある事じゃない。

あの歴史的な試合の後も、バンデベルデは何度も予選から全英オープンに挑戦し続けていたが、結局ゴルフの女神は二度と彼に微笑んではくれなかった。
あの時...女神は71ホール目の第1打が終わる迄は、確かに彼に微笑んでくれていた。
しかし、無理を承知でコースを攻め続けた彼を誰も責めはしない。
...だから悲劇だったのだ。

その後、しばらくして歴史のあるフランスオープンだったかで、逆転負けを食ってグリーンの隅に座って泣いているバンデベルデを見かけた事もあった。
彼の試合の結果には何度も大きな逆転負けの記録が残る...結局彼のヨーロッパツアーの勝利はたった2勝のみで終わった。


それから時間が経って、33歳の青年だった彼も今年50歳になった。
その間、テレビのレポーターだか解説の仕事をしているらしいとは聞いていたが、50歳になってこの全英シニアオープンに初参加した事を、昨夜テレビを見て知った。

しかし、深夜に見たバンデベルデは、苦しそうだった。
一打ごとに唇を噛み、眉をしかめ、頭を振り、下を向く。
共にラウンドするT・レイマンはアンダー、I・ウーズナムもパープレーくらいで回っているのに、バンデベルデは既に11オーバーになっていた。
その後もスコアを崩し、4オーバーのカットラインには遠く及ばずに予選落ちは決まった。

バンデベルデとカーヌスティー...17年後にも雪辱戦はならずに、完敗の返り討ち。
彼はこれからシニアで戦い続けるのか?
もう一度シニアオープンがカーヌスティーに帰って来る頃、彼は人生第二部の戦いで悲劇を勝利に変える事が出来るのか?

17年前にその負け方に思い入れを持ってしまったオレは、やがて彼がもしここで勝つ事が出来たなら...その時には、あれからずっと胸の奥につっかえている重いものが、きっと解けてくれると感じている。


縁も無い他人の人生なんだけど、「負けた思い」はオレも胸に沢山溜まっているからなんだろうなあ。

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嫌なヤツ    (2016年7月13日)

Bu160713初めて会った時ヤツのハンデは13、自分は14だった。
本気で競技をやって少しでも上手くなろうと、当時値段が安くなっていた「遠いけれども難しくて良いコース」と言う評判だったコースに入会した。

初めての月例はBクラススタートで、同じ組になったヤツもそのコースに入って3ヶ月とかだった。
プレー振りはオレと正反対で、きちんとグリーンから計算してクールにラウンドするタイプ。
対して、オレはともかく「飛ばす」「攻める」しか頭に無く、思い切り振ってボールを引っ叩かなければゴルフやってる気がしないタイプだった。
最初の対決は1打差で負け。
ラウンド後に「またご一緒しませんか?」という言葉に、「もちろん。今度は負けませんよ」と返した。

それから20年以上が経った。
ヤツのハンデは何時もオレより一つ少なかった...自分が13になるとヤツは12にすぐなった。
オレがやっとシングル入りして9になった時には、ヤツは8になった。
やっと6になった時にはヤツは5になっていた...二人ともこれが生涯のベストハンデとなった。

「ずいぶん長い付き合いで、よっぽど仲が良かったんだなあ」だって?
まさか!
ヤツは知れば知る程嫌なヤツだった。
通算するといい勝負ではあった(とオレは思ってるんだが自信は無い)けど、わずかに(?)オレが負け越している...その度にヤツはオレを馬鹿にして鼻で笑いながら、「あなたに負ける気はしませんよ」なんて言いやがる。
「そんなに刻んでやるゴルフなんて、ストレスが溜まってしょうがないだろ」ってオレが言うと、「いつまでも頭を使わない力任せのゴルフしか出来ない人に、ゴルフを語る資格はありませんね」なんて言い返しやがる。
ともかく皮肉ばかりいうヤツで、端で聞いていると何時殴り合いの喧嘩になるのか心配になるほど、険悪な空気でゴルフをやっていたらしい....結構クラブ内で評判になって、一緒の組に入るのをいやがるメンバーもいて、競技委員から注意を受けた事もあった。
まあ、それ以降はあまり大きな声で口には出さない様にしたけど。

嫌いなら一緒に回らなければいい、と他のメンバーは言うんだが...ラウンド後に「私の方がいつも勝つから、そろそろ逃げてもいいですよ」なんて言いやがるから、「あんたこそ、この次負けるのが怖いんだったら他の人とどうぞ」なんて返すと、「では、シーユーアゲイン」「今度は首洗って待ってろよ」って事になってまた一緒になっちまう。
月に一回の月例で「ざまあ見ろ!」と思ったり「コノヤロー殺してやりたい!」なんて...それが20年以上続いていた。
ゴルフ場以外で会いたいとか酒でも飲みたいとか思った事は1回もなかったから、個人的にどんな仕事をしているとかどんな家庭生活を送っているとかは何も知らなかったし、興味も無かった。

まあオレのゴルフは、ヤツを負かしたい、ヤツをギャフンと言わせたい、ヤツに頭を下げさせたいなんて事が情熱の出所だった様な気はしている...そうじゃなきゃ、何事も飽きっぽいオレがこんなに長く同じ趣味に燃え続ける事なんてあり得ないって、自分で認めるわ。

本当にあいつの皮肉たっぷりの言葉にはいつも腹が立っているんだが、特に別れ際にニヤッと笑って人を小馬鹿にしたように言う「シーユーアゲイン」なんてキザな言葉に、特に頭に来ていた(大抵ニギリを取られていたんだから当たり前か)。


去年の秋だった。
11月の月例で、やっぱり最後のパットでオレが負けた。
さんざん皮肉を言われて馬鹿にされた後、ニギリを払ったオレの顔を見ていつもの(勝った時の)あの表情でにやりと笑った。
またあのキザな「シーユーアゲイン」か...なんて思っていたら何も言葉は出さずに、親指を立てて背中を見せた...わずかに「グッドバイ」と言った様に聞こえた。

12月の月例にはヤツは来なかった。
1月も2月も来なかった。
3月になり、支配人に何気なくヤツの事を聞いてみた。
「ああ、Nさんですか....お亡くなりになったとかで、退会して会員権の名義が変わりました。」


詳しい事は誰も知らなかった。
病気なのか事故なのか、それとも他の...住所も年齢も仕事も何一つはっきりしない...と言うより、オレには聞いて調べる情熱も気力も無い。
他にヤツの事を知っている様なメンバーもいなかったし...そりゃあそうだ20年以上オレと回っていたんだから、他のメンバーと親しくなるわきゃないよな。

4月の月例には出なかった。
ゴルフに対する情熱が起きない。
練習や、クラブや技術に対する興味も無くなってしまった。
5月からゴルフに一番良いシーズンなのに、オレはコースに出かける気にならない。


「チクショウ、あのヤローめ...」。
「別れも満足に言えねえで消えちまうなんて、お前は本当にキザで嫌なヤローだ」。




オレはお前の為になんて、絶対に泣きたくなんかねえ。
こんないい天気を、一体どうしてくれるんだ。

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それぞれに「ゴルフ」に深く関わっている面々   (2016年4月7日)

Bu160407

昨晩、久しぶりに都内に出ていつもの「飛ばしっこ」(私はもう参戦出来ないけど)の面々と酒を飲んだ。

何時もブンブンフルショットの若い編集者N氏と、ゴルフ用品界で確かな仕事を続けているM氏のいつものメンバーに、レッスンと用具についてのプロであるT氏と、偶然M氏の事務所に遊びに来ていた松村「博士」が飛び入り参加しての5人の宴会となった。

当然、話の内容は極秘の情報が飛び交うわ、真実の裏話が明かされるや、今のゴルフ界の「ホントの所」がばらされたり、広告宣伝とは違う内緒の用品情報を教えてもらうわ...話は面白く笑っている間にもう4時間以上の飲みっ放し...とは言っても博士とT氏は酒は飲まなかったけど。

色々と問題山積みのゴルフ界は別として、我々のお楽しみゴルフを始めようと言う話になった時、意見が二つ。
凄く良いコースでゴルフをバックからやりたいと言う事が一つ。
もう一つが「ともかくトリッキーという評判のコースか、トンデモコースって評判のコースを真面目にラウンドしてみたい」と言う話。
良いコースと言う事でコースの名を挙げれば、このメンバーはゴルフの好みが近いので、まずは「オールドオーチャード」をバックから。
その辺は想像通りの流れだけれど、ともかく「一番トンデモなコースで遊ぼう」と言うのは、いくつかの名の知れたコースが挙がったが...これは実際ラウンドする迄、コースの名誉の為に内緒にしておく。
この名前の挙がったコースは、本当に「クソのようなコース」なのか、頭を使って攻め方を考えれば実に面白い「(飛ばしばかりじゃない)ゴルフを楽しめるコース」なのか、実際にラウンドして確かめてみたいと言う話になった。

そして今日からマスターズ。
明日早朝4時からの中継をみる為に、今日の所は11時からの中継はパスして10時くらいに寝たいと思うが...どうなるかなあ。

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ゴルフを始めなかった男...その後の話2(終)   (2016年3月14日)

Bu160314彼の世話を唯一している彼の姉から「もう判らなくなっているみたいです」と聞いていた。
「何を話してもあまり反応が無く、惚けてしまって自分が何をしているのか判らなくなっている」、と。
おむつをして、食事も介護の人任せだと...


その日の朝、彼のお姉さんを途中で乗せて、借りていたレンタカーで病院に向かった。
どんな状態の彼と会えるのかは、想像するだけで気が重く暗い気持ちになっていた。
かって、颯爽と100メートルを11秒で走り、高校野球のスターであり、ハンサムでデザイン学校の教師や会社を経営していた男...それが何も判らなくなった惚け老人となっている姿は、正直見たくはなかった。
もし会っても判らなくなっていれば、会いに来るのはこれが最後と決めていた。

面会室に入ると、看護士に支えられて...痩せて小さく乾涸びたような姿になって、彼が椅子に座っていた。
姉さんが彼の横に座り、私達夫婦は正面に座った。
顔を変に歪ませてあらぬ方向を見ていた彼に「お友達がまた面会に来てくれたわよ」と姉さんが言う。
「T!  オレが判るか?」
こちらを向いた...途端に顔をくしゃくしゃに歪ませて、声を上げずに泣き出した。
「わかるのか?」
ただ何度も何度も頷く...
何故だか声は一言も出さずに、ただ表情が笑い顔だか泣き顔だか判らない形に変わる...あげくの果てに引きつった様な形で片目だけ開けて止まってしまった。
「Tさん、その顔じゃおかしいよ」とうちの奥さんが言う。
慌てて普通の顔に戻そうとするが、すぐにシワだらけの顔でくしゃくしゃになってしまう。

彼の方から会話を切り出す事は無かった。
しかし、こちらの言う事は全て判っているようだった。
うちの奥さんが昔の笑い話のような出来事を話しだすと、ヤツも思い出して声もたてずに涙を流して笑っていた。

「3年前に来た時、帰り際にお前は「リハビリして今度はオレが東京に行く」と言ってたのを覚えているか?」
そう聞くとはっきりと頷いた。
「ちゃんとリハビリしているのか?」
そう問いかけた時に、やっと小さくゆっくりだが言葉を話した。
「指、全部、動かせるように、なった...」
(今回彼が声を出して話したのはこれだけだった。)

椅子に座っている事がかなり体力を消耗するらしく、長い時間の面会は出来なかったが...思ったよりは遥かに状態はマシだった。
惚けてはいない...ただ介護施設ではなくて病院に入院と言う形なので、なるべく危険や面倒から遠ざける事が第一になり日々の刺激が少なくなり過ぎた結果、反応が少なくなっていたんだと思う。
近いうちに介護施設への入所が決まったと言う事で、これからはもう少し色々な事が出来る様になるんじゃないか、と言う話を聞いた。
30分程で「疲れ切ってしまった」、と言う状態になったので彼は看護士に抱えられて、部屋を出て行った。
...最後に少し振り向いて、表情を歪ませた。


ゴルフをする様になる事は、正直絶対無理だろう。
「あなたに送ってもらった道具は、まだ奇麗なまま押し入れに置いてあるのに」と姉さんが言う。
そして、彼の子どもや知人が見舞いに来ないのは、彼の金銭問題にあると言う事を初めて聞いた。
大阪で会社をやって潰した時に、莫大な金額の連帯保証人になっていたとか。
私に金を貸してくれと言った事は無かったが(うちに金が無い事を知っていたからかも)、色々な知り合いから金を借りていた、と言う事も初めて聞いた。


....お前は本当に問題のある男だったんだなあ。
オレにお前を助ける事は出来ないが、いつか一緒にフェアウェイを悪態をつきながら、笑いながらラウンドする事は「やがてジジーになった人生」の楽しみだったんだぞ。

奇跡は、お前が起こせ...オレはそれを待っている。

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ゴルフを始めなかった男...その後の話1   (2016年2月5日)

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「ゴルフな人々」には、基本的に僅かな時間でもゴルフに熱くなった人々のエピソードを書いて来た。

それは、自分のゴルフ人生の中のどこかですれ違った「ゴルフに関わり合った普通の人々」の、雑誌やメディアなどでは絶対に取り上げられる事のない小さな人生の片隅の話ばかりだ。
しかし、この「ゴルフを始めなかった男」は、私の一番古い友人で、「ゴルフな人々」の中で彼は唯一ゴルフに本気で関わり合わなかった男。

鹿児島出身のこの男とは、19歳であるデザイン学校で出会った。
まともに絵を描いた事もないし、石膏デッサンすらやった事のない自分が、まさにこれからの人生を絵に賭けると決心した時に同じ場所に居た。

ヤツは高校野球で地元のスターとなり、広島からスカウトされたキャッチャーだった。
しかし、プロに行くつもりだったその時に腎臓病にかかり、プロの世界を諦めた....好きな野球への道を断ち切られた男でもあった。

180センチ近い長身と、100メートルを11秒前後で走る俊速と、ハンサムで明るい男は確かに女性にモテていた。
気が合ったヤツと私は野球チームを作り、私が投げてヤツが捕ると言う形で、軟式野球の東京都ベスト3とか言うチームに勝ったりしたこともあった。
ヤツはやがて大阪でデザイン学校の教師の職につき、可愛い小さな千葉の娘と遠距離恋愛のあと、20代前半で結婚した。

やがて長女、次女、長男と3人の子供を持ち、社員を何人も使う写植会社を興し、ダイエーの仕事を多く引き受ける様になって羽振りも良くなり、会社も大きくなった。
この頃のヤツは、仕事も家庭も本当に順風満帆に見えた。

が、その頃からパソコンが普及し始め、その性能が飛躍的に良くなるにつれ「写植」という「仕事」が消滅して行った。
彼は一台一千万近いと言うコンピューター付きの写植機を揃えたとか言っていたが、この流れを変える事は全く出来なかった。

その頃のヤツとの付き合いは、東京と大阪と言う事であまり頻繁に会う事も無く、風の噂に聞く程度だったが...会社が傾き、経営を追われ...やがて離婚、長女は彼に、あとの二人は奥さん側に着いて家族離散とか..ヤツにとっての良くないニュースが聞こえて来るようになった。

そして、長女は結婚し、彼一人母親の介護もあって鹿児島に帰った。
やがて時が流れて、母親は亡くなり...ヤツ一人が鹿児島の生家に住んでいる事は、彼から頻繁に来るようになったケータイの会話で聞いていた。
ヤツは、そこでバイト生活をしながら、マスターズの野球をやったりして悠々自適の生活をしていると言っていたが...
ある日、「みんながゴルフをやっていて、今度コンペをやるって言うのでオレもゴルフを始めようと思うんだ」
「それでオレにはよくわからないから、お前の持っているクラブで使ってないものをくれないか?」

「やっとゴルフをやる気になったか」
と言う事で、当時一番ヤツに合うと思ったクラブと、キャディーバッグにボールや小物一通りを入れて、まとめて送った。
クラブは当時評判の良かったものばかり
ウッドはファウンダースのメタル3本、アイアンはピンアイ2のベリリウムカッパー1番からSW迄と、ピンのクラシックパター、それにボールを2ダース。
あとは自分の足と手に合わせてグラブとシューズを買えばいいだけにした。

「ただな、ゴルフはそんなに甘くはないから、最初は絶対に近くの練習場に行ってレッスンプロに基本を教えてもらえよ。」
「運動神経を過信して自己流でやると、野球をやっていたヤツは悪いクセがついて、必ずしんどい目に遭うからな」
そう念を押した。

が、ヤツは一回だけそのコンペに出たあと、二度とゴルフをやるとは言わなくなった。
電話では何回も勧めたし、「いつかお前と一緒に九州のコースを回りたいんだから、時間をかけてゆっくりゴルフに馴染むようにしろよ」とも言った。

が...ヤツが倒れる前に一度鹿児島に行った時にも、「一緒に練習に行ってやるから、今から行こうぜ」って言ったのに腰を上げなかった...クラブは奇麗なまま押し入れに入ってはいたけど。

そして、ヤツは朝から晩迄焼酎を飲んで酔っぱらう生活を続けるようになって...6年前に倒れた。
5年前に見舞いに行った時には、長い移動は車椅子だったけど、短い距離ならゆっくり歩けた。
3年前に行った時には、車椅子から離れて歩く事は出来なかった...が、帰り際によく回らない舌でも「今度はオレがリハビリしてお前の所に行く」と言って泣いていた。
「そうだ、リハビリ頑張って今度はお前が東京に来いよ」と言って別れた。


昨年見舞いに行くつもりだったけど、私の怪我や奥さんの白内障の手術などで行けなかった。
今年、なんとしてもヤツの見舞いに3月に鹿児島を訪ねるつもりだが...

ヤツの面倒を見ているヤツの姉さんによると...
「3年前に別れる時に、ヤツは今度はオレが治してお前の所に行く、と言ってましたけど、ヤツの具合はどうなんでしょう?」
「今は、介護されている状態で、認知症が入って来ています」


「多分、会っても判らないと思います」


ああ。
それでも、3月に会いに行く。
自分も行くのはこれが最後になるかもしれないから。

なあ、オレはお前と指宿ゴルフクラブででも一緒に回るのが夢だったんだぞ。
お前はきっと初めて参加したコンペで、あまりにゴルフが上手く行かなかったんで嫌気がさしたんだよな..あれほど言ったのに。
きっと野球では誰よりもうまかった自分が、野球でレギュラーにもなれなかったヤツに、ゴルフでは全く歯が立たなかったのが我慢出来なかったんだよな...
お前は意外とカッコマンだから、下手で無様な自分の姿を見られるのが許せなかったんだよな。

オレが近くに居れば、首根っこ引っ掴んでも練習場に連れて行って、ゴルフを楽しむ基本を叩き込んだのになあ。
ゴルフを始めていれば、朝から晩迄焼酎を飲み続けるなんて事はなかったかもしれないのになあ。
残念だなあ...口惜しいなあ。



...「お前はオレのツレだ」って言うのが、酔ったお前の口癖だったよなあ...




2010年9月16日「始めなかった男」
2011年3月30日「始めなかった男(終章)」

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230チタンの夢・終章 (前記事2010年1月)   (2016年1月19日)

Bu160119(前記事 http://blogs.yahoo.co.jp/drankwind/31206442.html

まだ揃えたばかりで、何ラウンドも使わないうちにゴルフ休止を宣言せざるをえなかった一級建築士のTさんは、以前の仕事部屋の片隅にまだキャディーバッグを置いていた。

バブルの頃には仕事は次々とやって来て、寝る間もない程忙しかった。
その頃から始めたばかりのゴルフに熱中して、仕事が一段落すると殆ど寝ずにゴルフに行くなんて事がよくあった。
稼ぎも良かったので、すぐに手の届くコース(ちょっと遠かったが)の会員権を2枚手に入れ、間もなくシングルハンデと言う所迄腕を上げていた。
当然道具にもこだわり、当時最先端の「飛ぶ」と言われた230チタンに、プロ好みの顔と言われたダンロップのDPー201アイアンを揃えた所で「風が変わった」。

バブル崩壊と共に個人事務所への設計以来の仕事は激減し、食うのに困る程になってしまったので、ゴルフは一時休止として大手設計事務所の契約社員となった。
幸い、一級建築士の資格は仕事内容に拘らなければ仕事口は十分にあった。

「やがて景気が回復すれば個人事務所を再開し、またゴルフを始めたい」「また始める時にはまだ新品同様の230チタンが、きっと喜びの雄叫びを上げてくれるはず」「DP−201はきっと得意のドローボールでピンを攻めて行けるはず」...そう思って、じっと我慢の時を過ごしていた。

しかし、時間と共に何回か事務所を変わって、だんだん身体にきつい仕事が多くなった。
個人の設計の仕事が多くなる事は無く、雇われでしか稼ぎを得る事は出来ない状況は変わらなかった。



数ヶ月前に、現場でやってしまった。
不安定な足場でチェックをしていた時に、不意にバランスを崩して....落ちた。
命に危険のあるような場所ではなかったが、落ちた時に右足に激痛が来た。
足首に激痛があり、軽い怪我では済まない事が脂汗と共に感じられた。

足首の複雑骨折。
折れた骨は外には出ていなかったが、単純な骨折ではなかった。
3ヶ月は動けなかった。
この年だから、折れた骨が完全に突くのは半年から一年はかかるだろう。
足首を固定して、杖を突きながらなんとか歩けるようになったのが、つい一週間前。
仕事に行かなければ収入も無いので、とにかく早くリハビリをして現場に出られるようにならないといけない。
毎日少しずつでも歩くようにする。

...しかし、これでゴルフはもう二度と出来ないだろう。
医者にも止めた方がいいと言われた。



230チタンよ。
DPー201アイアンよ。
悪いなあ...
お前達は買ってから何ラウンドも使ってないよな。
...いつかまた、お前達と緑のフェアウェイを歩けると思っていたのになあ...

もう売っても二束三文にしかならないし、捨てるのも忍びない。

なあ、230チタンよ...
これからはこの部屋の片隅で、「叶わなかった夢」の話を肴に、俺と一緒に酒を飲もうか...愚痴ろうか。

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2016年10月 6日 (木)

大人の遠足・忘年会   (2015年12月28日)

Bu151228昨日、魔境北千住の立ち飲み屋で、大人の遠足・忘年会があった。

集合時間が14時丁度...この立ち飲み屋が開店する時間...てのが、そもそもおかしい。
晴れた冬の日の真っ昼間・午後の2時から忘年会ってのが、どんな展開になるのか想像出来るけど想像したくない(笑)。

集まったのはおいちゃんにあぶらげさん、それにおいちゃんの親友(腐れ縁としか見えないが)・乗りで勝負の好漢、タツさん、ゴルフブログ界のアイドルとも鬼とも言われる(?)ホワイトタイガー54(以降WT54に略)さん、それにWT54さんの妹分の競技ゴルファー・メイプルさん、この会の催し事の永久幹事であり一番「やんちゃ」な(最近太めの)みずおさん、今回初参加のWT54さんとみずお氏のブログのファンだと言う(牡蠣の嫌いな)ダッファさん、それに私の計7+1の8人。

一階は7〜8人も入れば一杯の、「由緒正しく小汚い」と言う居酒屋名店特有の雰囲気の「ごっつリ」は、日本酒もいいものが置いてあり摘みも平均300円から400円と手頃で旨い。
その店の奥の、おいちゃんクラスの横幅だと階段で立ち往生してしまう程の狭い急な階段を上がると、そこは飲み助に取って天国とも言える狭く質素で気安い「隠れ家」的空間。
その奥を占領して図体も声も態度もでかく、あらゆる酒を飲み尽くしあらゆるつまみを食い尽くしそうな勢いで注文が飛ぶ...それに答えてくれるのがこの店のアイドルでみずお氏が一目惚れしたと言う、実に可愛いマコちゃん」。
お酒をたっぷり注いでくれるサービスも、嫌な顔一つしないでオジさん達のアホな言葉に対応してくれるのも、このマコちゃんがこの店の雰囲気をゆったりぽっかりした雰囲気にしてくれる一番の要因だろう。

な訳で、怒濤の摘みの注文と生ビールから始まって店の日本酒を飲み尽くす程の酒のお代わり...
酒飲みの本能か「口開け」した日本酒は「旨いうちに飲んでおこう」と、我先にとのお代わりラッシュ(笑)。
話はゴルフの話から酒の摘みの好き嫌いから、マキちゃんの恋バナから、周りのカップルまで巻き込んでの支離滅裂・四方八方テンデンバラバラな会話の大騒ぎ...楽しけりゃあ何でもいい。
気がつけば4時間5時間が過ぎ...そろそろカラオケでも行きますか、と...北千住魔境の更にディープな「からおけや」に。

前回にも来たこのカラオケ屋、普通のオバさんが内緒でやっているような不思議な「訳判らん」雰囲気が、なんだかとてもいい。
前回はここで死ぬ程強い酎ハイが出て来てみんなムセったりしたが、今回はお願いして「普通の濃さ」にしてもらい、そこでまた乾杯。
ワイワイ騒いでそれぞれ歌って、「そろそろ」と気がつけば、時間は9時になろうかと...
2時から始まって、飲んで歌って実に楽しい7時間の忘年会でした。


額の中からずっと見ていたあぶらげさんは、こんな仲間のおバカ騒ぎ...呆れて笑って見ていたんだろうな。
オレはと言えば、あんなに飲んでも今日はスッキリ二日酔いも無く...これも彼女のおかげかな。


...今年始めは、あぶらげさんの訃報で始まった。
3月初めに、彼女も一緒にと約束していた「憧れの川奈」で、「お別れ・大人の遠足」のラウンドを二日間。
その後何度か飲み会はしたけれど、「大人の遠足」のラウンドはしなかった。
あれはあれで終わったものだと。
そんな、あぶらげさんと一緒に「秋のボナリを楽しもう」と始まった「大人の遠足」は、昨日「これにて終了」。


まだ来年のことを言うのは早いけど、飲んで出て来たのは「大人の遠足・第2章」。
例えば、北海道の釧路カントリー。
例えば、川奈の大島をパーシモンに糸巻きで。
例えば、...

ちょっと遠くに、ちょっと行けない「思い出のラウンド」を作る為に、そしてそこで美味い酒を飲む為に。


そんな「大人の遠足」が、一年に一回はあっていい。
いい仲間が揃った事だし...さて、来年はどうなることか。
幹事さん、よろしくね。

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歩き続ける男   (2015年10月28日)

Bu151028挨拶もロクに返してこなかった。
他の3人は挨拶と自己紹介を終えていたのに、この男だけは離れた所に居て、スタート時間になるまで近くに来なかった。
小太り、と言うのは遠慮がちな表現...普通に見て太っている、そして多分4人の中で一番若い。

こんな平日のオープンコンペに参加するんだから、定年を過ぎている年齢のはずだが若く見えるし態度が大きい...と感じた時に「ああ、この男はきっと定年まで会社の偉い部署に居たんだろう」と気がついた。
わりと最近までの会社員生活で沢山の部下に囲まれて敬語で敬われる生活を続けて来たから、こんな他の人間が皆年上で、どんな仕事をしていた人か判らないグループに入ると自分の対応の仕方が判らないんだろう...

スタートホール、彼はアドレスに入ると急に饒舌になった。
「オレはいつも朝イチは力が入るんだ」「ここは右からフックで行きたい」「せっかくシャフトを替えたんだから、飛んでくれよ」
....大ダフリして100ヤードも飛ばなかった。
「ああ、右手に力が入った!」「右肩が下がった」「ボールの位置が悪かった」「クソ!」

「乗らないんですか?」
「あ、私は歩きます」

結構全体に高低差のある傾斜の多いゴルフ場だったが、男は歩くのでカートに乗らないと言う。
道具やシューズなどを見ると全て高価そうなものばかりだったが、ゴルフはそれほど上手くなく、毎回ボールに触って良いライに置き直して打つ所を見ると、それが普通な所謂「接待ゴルフ」でずっとゴルフをして来た男だな、と想像出来た。
....そして、ゴルフは好きで確かに楽しんでいるんだけど、何かに凄く怒っているような雰囲気も...

昼食時に、独り言の様にニュースになっていた「マンションの基礎の杭打ち不正問題」に触れて、「あんな事しているから会社がマズくなるんだ」なんて言いだした。
「あちらの業界のお仕事なんですか?」
「いえ、建設関係の仕事ですが腹が立ちましてね」
(そうか、それで怒っているのか)...その時はそう思ったんだけど...
ちょっと話を変えて「今はもう定年は過ぎたんですか?」
「ええ、もう62ですから、2年前に会社はやめました。」
「これから貯金がなくなるまで遊ぶつもりです。」...!


他の70代の人との話で「奥さんもゴルフするんですか?」なんて話が出て来た。
「いやあうちは女房は女房の仲間でやってますんで、私は私で」
「うちはゴルフをやりませんで」
「うちはまわった事のないコースを旅ゴルフしてます」
....
彼は話題に入りたくないようだったけど
「...うちは、私が退職した時に病気して...」
「今は外に出られないので...」

話題が自然に無くなって、午後のスタートまでそれぞれに時間を潰す。

午後も彼はずっとカートに乗らずに歩き続ける。
ずっとボールを触り続け、置き直し続け...自分で自分のショットを解説し、望むボールを打てるように気合いを入れ、いい訳をし、反省し、チェックポイントを呟き続ける。
我々とは会話を極力避けているようだが、インチキや不正はしないし、プレーも遅くはない。
カートに遅れまいと太った身体を揺らしながら、歩き続ける。

多分、彼の人生は成功した部類の人なんだろう。
言葉や態度の端々に、そんな事が感じ取れる。

しかし、このゴルフ場を歩く後ろ姿には、まるで痩せ我慢の怒りと寂しさが出てしまっている。
,,,ひょっとしたら、ゴルフ場を歩く事は今の彼にとって遍路の旅の様なものかもしれないな...


そんな事を感じてしまうのは、オレが「ゴルフは人生に似ている」って思っているからかもしれないが...
秋晴れの空の下...男それぞれ、ゴルフもそれぞれ、我々馬鹿な男は「遊びをせんとや生まれけむ」...

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