散歩の途中で

2017年3月31日 (金)

もう一つの趣味・双眼鏡

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最近は毎日欠かさず散歩をしている。
今は全ての原稿がメール入稿になってしまったので都内に出て歩く事も殆ど無くなり、ゴルフのラウンドも減った為に、ジムにでも行かないと絶対に運動不足になる。
このままでは肥満と共に筋力も衰えるのは必然。

ただ、ジムの「室内で汗を流す」事があまり好きではない為に、毎日5千歩以上歩く事にした...のんびりのジジババ散歩ではなく、汗をかく為の「速歩」だ。
ただし、毎日同じ所じゃ飽きて気持ちが続かない。
で、毎日方向を変えて出かける事にし、おまけに何か「目的」あるいは「寄り道をする事にした。

その目的あるいは寄り道は、風景見物・植物見物に鳥見だ。
他にハンバーガーショップでの読書や1円パチンコでの気晴らしなども取り混ぜて、毎日の散歩が同じになって気持ちが切れないように工夫している。
その為にヒップバッグにお絵描き道具と文庫本、それにこの双眼鏡を常時入れて出かける。

この双眼鏡は、一時期ツアイス・ライカ・スワロフスキー・ニコン・ビクセン・高椅他...口径も大きさも違う1級品だけを60台以上オクで集めて、見比べて楽しんだ時期があった。
そんな中で、実際に星や鳥、風景や野の花や昆虫などを見比べて、殆どを売り払い自分が使いやすくよりよく見えると感じたものを4種類・6台だけ残した。
その結果は世の評判とは違い、スワロフスキーやライカ・ツアイスは手元に残さなかった。
その理由は追々書いて行く。

この常時携帯のニコン8x20HGは、こうした小型の双眼鏡の中で抜群の解像度と明るさだった。
自分の感覚では同口径のツアイスやライカ、スワロフスキーなどより数段よく見えると感じたので残した。
この「HG」は、レンズ製作で使う鉛が公害の元凶となるという理由で、鉛を使わずに作られたHGLよりずっとよく見えると感じている旧型の方だ。

これで見るのは散歩の途中の野の花や木々の姿、鳥や魚や昆虫を良く見たい時に実に役に立つ。
また意外な所では、最短焦点距離が短いので居酒屋での黒板メニューやお薦めの文字を読む時や、展覧会での作品をアップで見るときにも役に立つ。
防水でもあり、バッグのポケットに入れておいて全く邪魔にならない。
定価で5万する高級品だが、その価値はある。
ネットで状態の良いモノが2〜3万であったら「買い」だろう。
(星も結構良く見える)。

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2016年10月 7日 (金)

春は...   (2016年4月1日)

Bu160401桜の花が咲き始めた。

日当りや風の吹き抜ける場所の違いなどで、3分咲きから7分咲きくらい迄。
この地域では、まだ満開になるには何日かかかりそうだ。

それでも、寒さを感じない日の光があると、咲き始めた桜並木の下ではそれぞれに宴会したり、ボーっとしたり、何かを食べてお話をしたり...
町内会やらの「花見口実宴会」中心の大騒ぎをしている人達はまだ見当たらず、大きな笑い声などが聞こえて来るのは若い人達の集まりばかり。

静かに花を見る、色々な年齢のカップルもいる。
意外に多いのが若い女性の二人連れ。
大学生や高校生、それにまだ社会人になったばかりの様な若い女性二人連れが、あちこちで咲き始めた桜を見ながら話をしている。

まさに、今が彼女らの季節なんだろうなあ。
「命短し、恋せよ乙女...」なんて唄が聞こえてきそうな、その後ろ姿。

咲き始めの桜の花は、若く初々しい若者の姿をイメージさせる。
(散る桜は、我々そのもののイメージなんだけどね)

その中にいるときは判り難いものなんだ...今が自分の人生の花の時期だなんて。
今の自分の力も才能も曖昧で測り難く、希望も夢も現実とはかけ離れ、自分の位置や場所の現実味も薄く、今の季節を日々やり過ごす事だけに必死になっている....青春なんてものは絵空事の小説やアニメやドラマの中だけに存在し、自分の周りには昨日から続いて明日へも変わらずに続きそうな霧の中の様な生活しかない。
根拠の無い自信と意味の無い不安が、まるで海の波の様に交互に打ち寄せて来て、みんな投げ出したい気持ちになる事もあるだろう。

自分の存在が本当は美しかっただなんて、それを無くしたとき迄判らないもんなんだ。
惜しめ、その過ぎて行く時間を。
もっと大事にしろ、その若さを。


今を大事にしてないと、ジジーババーになった時にやっと理解して悔やむんだ。
...やらなかった後悔より、やってしまった後悔の方がマシだったって。



こんな季節だから、桜の木の下にいる若者達に、私がかって生きる事の勇気を得た言葉を捧げる。
永島慎二の「漫画家残酷物語」で見かけた言葉

ロバート・ルイス・スチーブンソン

真に幸福であること
それは私たちがいかに
終わるかではなく、
いかに始めるかの問題であり
また私たちが何を所有するか
ではなくて何を欲するかの
問題である

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ゲーム   (2016年3月20日)

Bu160320

日当りの良い公園のベンチの上。
若い男が一人、ずっと座り続けている。

さっき通りかかった時から2時間以上、バッグを横に置いたまま、胡座をかいて。
はじめは本を読んでいるんだと思っていたが、よく見るとスマホが手にある。

表情はクルクル変わる。
眉をしかめ深刻そうな顔をしているかと思えば、焦った顔で必死の形相。
かと思えば、「ヤッタ!」と声が出そうな喜びの表情に、「ウンウン」との納得の表情。
周りを見る事は無く、全ては手の中の世界に入り込んでいる。

そう若い訳でもない...30前なんだろうけれど。
近くを通る時にちょっと覗くと、何やら登場人物が動き回る「ロールプレイングゲーム」とかいうやつか。

それほどに打ち込んで、夢中になって。
君には「ゲームが人生」か。

似ているけれど、「人生がゲーム」と言うのとはえらく違うぞ。
こっちは自分が主役だけれど、そっちはゲームが主役であって、君はそこでただ遊ばれているだけだ。
よく考えてみればいい...ゲームは誰かが作った手の平の上の世界。
お釈迦様でもあるまい存在が、ちっぽけな頭で考えただけの限界も境界も「その辺に」あるインチキ世界。
そこでいくら頑張ったって、見知らぬ誰かのイメージの中でのちっぽけな疑似勝利。
そんな虚ろな世界では、君にはなんにも残らない。

「人生がゲーム」の方が面白いとは思わない?
そこは、すぐ先の事も誰も知らない未知の世界。
勿論負けりゃあダメージは半端ないし、なんつったって結局自分の人生命がけ...誰も褒めたりしてくれないし、名誉も金も手に入れる事は殆ど無い。

でも、その人生は他人の頭の中の仮装世界よりずっと刺激に満ちているし、良いことばかりじゃなくたって生きてる甲斐をきっと感じる。

スマホのスイッチはさっさと切って、頭を上げてみろ。
日はもうすっかり暖かく、春の風が吹いてるぞ.



...(花粉まじりが難点だけど)

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今日は桃の節句   (2016年3月3日)

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うちでも小さなひな人形を出していたのは、どのくらい前の事か...
小さくて質素なものでも飾るのが面倒で、一旦飾ると娘達も喜んでいるので何日もそのままにしていたっけ。

,,,娘二人とも未だになんの話も無いのは、あのひな人形をすぐに仕舞わなかったからかもしれない。


桃の節句と言っても、これは旧暦3月3日...つまり今で言えば4月上旬の桃の花が咲く頃の節句だったから、実際の季節ではまだ桃の花には早すぎて「梅の節句」とでも言った方が良いくらい。


そんな梅の花の満開の下、日の当たるベンチで年の行った男と小学校低学年くらいの娘が座っている。

多分、祖父であろうその男は、恭しく少女に寄り添う。
背中を丸め、高貴な姫君に従う召使いのような態度で「美味しい?」と尋ねる。
少し気取って、まるで高貴な姫君の様にすっきりと背筋を伸ばして、
ソフトクリームを食べる少女は静かに頷く。

春の日は少女の輪郭を輝かせ、召使いの背中にも優しくあたる。
幼い姫君が、やがて優しい女王様になるように
召使いはきっと見守り続けて行くんだろう。


そんな事を召使い達が願う、3月3日。
...今日はそんな「女の子の日」。

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一炊の夢   (2016年3月1日)

Bu160301元は梅の農園であったと言う、梅林公園の梅はほぼ満開になった。

儚さと潔さが魅力の桜に対して、梅の花には清純・耐える強さ・高潔さ、なんて言葉がよく似合う。
これって、オレの若い時代の青春映画の女優達、吉永小百合や和泉雅子なんかが演じた女学生や、かって憧れた年上の女学生...困難に対して胸を張り、キッと顔を上げ、唇を噛み締めてそれに立ち向かって行く美しい女性達のイメージに近い。
最近じゃあ、若い娘は可愛いのにだらしなく口をあけた顔が多いので(男の方がもっと多いか)、梅の花にイメージが重なるような女性は滅多に居ない。


そんな梅園の東屋の下。
日の当たる場所に、柱にもたれて日向ぼっこしている老人一人。
春が近いとは言えまだまだ寒い風の中、
厚手のコートを羽織ってすっかり着膨れして丸くなっていて。
陰になる背中は少し寒くても、陽射しは十分に身体を温めている。
居眠りをしているのか、身動きもせずにじっと座り続ける。


「まあ、よかったかな...」

そう言ったように思えた。
今こうして日溜まりの中で居眠りが出来る。
オレは、いい方だよな。
苦労ばっかりで先に逝っちまったヤツ
好きな時に日向ボッコも出来なくなったヤツ。
上を見ればきりがないけど、十分オレは幸せだよな。
背中が、そんな事を呟いているように見える。

もう、冬の陽射しは十分に彼を暖めていて、
満開の梅の花が、彼にいい夢を見せているような気がする。

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共に滅びて    (2016年2月28日)

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歩いた事の無い道を選んで歩く。
クネクネと新しい町並みと取り残された畑の間に続く道を辿る。

遠目に大木が枝を広げて立っているのが見える。
勇壮に...と見えたのが、近づくに連れて
それが滅びたあとも立ち尽くしている悽愴な姿だったと判る。

太く雄々しかったであろうその樹皮は、所々で剥け落ちている。
豪快に伸びていただろうその枝先は、皆傷つき折れてしまっている。

そしてその足下に、もう誰も住まなくなって久しい様な廃屋があった。
その屋根に、瓦を割って大きな枝が何本も落ちている。
かなり太い枝は、屋根の太い柱さえへし折ってしまっているようだ。
折れ曲がった屋根の所以外も、瓦はあちこちで落ちていて所々に小さな穴をあけている。
壁も崩れ、昔は農機具を置いていたような物置の棚が、斜めになって家の中に続いている。

何時頃だったんだろう。
この家が誰も住まなくなったのは?
何時頃だったんだろう。
この大木が枯れてしまったのは?


この廃屋と枯れた大木。
あまりに近くて、あまりに似ていて。
仲のいい家族、あるいはまだ醒めぬ前の恋人達、
あるいは忠犬とその飼い主...

どちらかが先に滅びれば、どちらかは残されて独り生きる気力を無くし。
あるいは共に同じ運命を感じ取ったり。

廃屋の周りに、それを隠すように木々が生い茂っている風景は何度も見たけど
共に同じように滅びた姿を晒しているのを見たのは初めてだ。


もう春の風の中、
枯れた大木が、共に生きた時代を夢見て
,,,まだ空を見上げている。

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どんなに寒くても   (2016年2月22日)

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田圃の真ん中にある小さな公園の、一寸した高台にある東屋。
北風の吹き抜けるその場所に、小さな壊れかけたテーブルといくつかの椅子。
テーブルの下には古い木箱。
その中には多分将棋のセットが二つ以上。
椅子は備え付けが二つに、持ち寄ったものらしい粗末なものが4つくらい。
屋根は少し大きめで、普通の雨なら濡れずに済みそう。

この場所に、暑くても寒くても、嵐でも大雨の日でも
毎日毎日、いつも此処に数人の老いた男達が集まっている。
少ない時には3人、多い時には11〜12人。
...将棋。
対戦しているものがいつも二組に、それを周りで見ているものが何人か。
今の季節は、みんなだるまのように沢山着込んで肩をすぼめて丸くなって。
夏の暑い盛りには、蚊取り線香迄持ち込んで。
あぶれた男達は、公園の木々の陰に更に座り込んで対戦したりして。

小さな公園には野球のグラウンドがあって、その周りを一周する小道がある。
歩く人から声が聞こえる。
「あの人達、きっと家には居場所が無いのね」
「きっと家族も、いない方が気楽だからって思ってるのよ」
「雨の日も風の日も毎日何人か居るものね」
「台風の時にもちゃんと居たのには笑っちゃった」
「此処に来ると絶対誰か仲間がいるって思ってるのよね」
「でもちゃんと夕食の時間には帰って行くのよね」
「将棋って、そんなに面白いのかしら」
「まあ家族も、此処に居るって判ってるんだから安心なんじゃない?」

年老いたご婦人達は、歩きながら聞こえるような声でおしゃべりを続ける。
「元」男達は、何も聞こえないと言うように、真剣に次の一手を考える。



将棋盤の上を、相変わらず冷たい風が遠慮なく吹き抜けている。

描いてる俺の手が、かじかんで動き難い。

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廃屋に   (2016年2月10日)

Bu160210

散歩は、まだ歩いた事のない道を探して歩く。
町外れ、生きている家の間に昔家であったものの姿が現れる。
枯れ草に絡まり、壁は崩れ、屋根はもう半分落ちている。
土に半分埋まった洗面器や食器が見える、
錆び付いた蛇口や、よく見ないとわからない程腐り果てた品々がある。





そこにあるのは、過ぎ去った時間。
多分、何人もの、何代もの家族の住んだ痕跡。

笑い声が溢れていた時間もあったはず。
悲しみや怒りに満ちた時間もあったはず。

建てた人の夢や希望が、朽ち果てた屋根や壁にまだ残っているような気がする。
最後に立ち去った人の、悲しみや寂しさがまだ残っているような気がする。

夏にはもうすっかり草に覆われてしまうんだろう。
冬の寒さが草を枯らして、こうやって姿を外にさらけ出す。

やがて土に帰る迄、きっと家はその時間の積み重ねを思い返しているんだろう。
もうその懐に、暮らしていた人々の温かさを感じる事は二度とないまままに、
ただ我が身の滅びて行く様を、じっと感じているんだろう。

冬の冷たい凍える風が、むしろ気持ちが良いように
きっと感じているんだろう。

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ぶうらりと...   (2016年2月4日)

Bu160204陽は出ているし、風もない。

梅はもう少しだが、桜はまだまだ。
朝晩は冷え込んだって、日中は十分暖かい。
ジジーにババーの散歩日和だ...自分がジジーと思っちゃいないが。

こんな日はあてのないぶらぶら歩きが気持ち良い。
気持ちの良い川縁の散歩道。
細かい世間の暮らしと離れて、広い空相手に話しゃいい。

「昔から、「旅は急ぎ」と決めては居たけど
急いだ旅にはもう疲れちまった。
今はぶうらり、ゆうらりと
あてのない、風に任せた旅がしたい。」
「でもなあ
既に体は壊れ始めて、金だってほんの少ししかありゃあしねえ。」


こうやってカッコつけるのも、気持ちのいい散歩の時間だけ。
自分じゃ出来ない事をした気分になって、
バカ噛み締めながらの散歩も悪かない。



それにさ
ホントは、あてはあるんだすぐそこに...俗物で小心な凡人の自分らしい毎日が。
「あてのない旅」なんて、そんなジジーの叶わぬ夢って事さ。



さあて、もうすぐそこが終点だ。
ヤクザなジジーから、普通のジジーに戻って、
今来た道を帰る時間だ。

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二人の距離   (2016年1月30日)

Bu160130eb

二人並んで川の堤防の上の道を歩いている。
見た感じでは、年は70代後半か80代。
勿論手をつないだりする事も無く、肩を並べてゆっくりと。
川筋が緩くカーブして、桜並木が途切れるところで二人立ち止まる。

少し腰を伸ばして、空を見上げ、辺りを見回して二言三言。
川に背を向けて、コンクリートの歩道側から草の土手に足を下ろして二人座り込む。

その二人の距離。
なんか、離れて一人と一人。
ぽつんぽつんと、何やら話しは断片的に。
時間を足で転がしながら、二人静かに日溜まりに居る。
小さな背中が動きを止める。

やがて
元女から、元男へ一言二言。
うなずいてゆっくりと腰を上げる。
もう一回伸びをして、またゆっくりと歩き出す。
肩を並べて。
座っていたときよりは近付いて。

ゆっくりゆっくり。

歩き続ける。

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